母になっても、アスリートでいる。小野塚彩那が語る、後悔のない生き方

 

世界を舞台に活躍するプロスキーヤー、小野塚彩那さん。オリンピックメダリストでもある彼女は、妊娠・出産を経て、わずか2ヶ月後には「JAPAN FREERIDE OPEN 2021」で優勝という驚異的な復帰を果たしました。アスリートとして、母として、一人の女性として、大きなライフイベントとキャリアをいかに両立させ、自身の道を切り開いてきたのでしょうか。その葛藤と挑戦の日々、そしてドキュメンタリー映画『MOMENTAL』に込めた想いについて伺いました。

妊娠・出産を経て感じた、体と心のリアル

ートップアスリートとしてご活躍される中で、「母になりたい」というお気持ちは、いつ頃から、どのように芽生えてきたのでしょうか?

具体的に意識し始めたのは、2018年の平昌オリンピックの頃です。ハーフパイプの競技生活に一区切りつけようと考えたタイミングで、「子どもが欲しい」という気持ちがすごく強くなって。シーズンと重ならないように計画も立てたんですが、なかなか授かることができませんでしたね…。

転機が訪れたのは、フリーライドに転向して2年ほど経った頃です。コロナ禍で急遽帰国した、まさにそのタイミングで妊娠が判明しました。排卵日もずれていたようで、まったくの予想外。本当に偶然に授かった、という感じでした。

―トレーニングは妊娠中も続けられたそうですが、どのように情報を集め、実践されていたのでしょうか?

妊娠中のトレーニングは、担当ドクターとトレーナーに相談しながら進めました。ドクターはアスリート外来も担当される運動に理解の深い方で、「呼吸さえ止めなければ問題ない」というアドバイスをいただき、それを守って山登りなども続けました。そして、具体的なメニューや負荷についてはトレーナーと。「体を大きくせず、体型維持を目指そう」という方針で一致し、実践していましたね。日本の一般的なイメージとは異なるかもしれませんが、こうしてトレーニングを続けられたのは、的確なアドバイスをくださった専門家の方々のサポートのおかげです。

―食事面では、妊娠中どのようなことを意識されていましたか?

元々あまり偏食はしないタイプで、野菜中心の食生活でした。なので特に食事制限はしていません。ですが、妊娠をきっかけに食の好みがガラッと変わって、揚げ物が大好きになりました。もう私の子どもは油でできているんじゃないかってくらい食べていましたね(笑)。

ー妊娠生活の助けになったものはありますか?

妊娠が判明してすぐに犬を飼い始めました。いつか子どもができたら一緒に育てたい、子どものバディになってほしいと思っていて。実際に家族にすごく癒しを与えてくれましたし、子どもが生き物に対する大切さや、生と死について学ぶ良いきっかけにもなると思ったんです。

ー妊娠中と産後で、体や感覚はどのように変化しましたか?

妊娠中は体がずっとポカポカ温かい感じでした。幸いなことに、ものすごく辛いつわりはなくて、お腹がすくと少し気持ち悪くなるくらい。振り返ると、常に何かを口にしていた記憶があります。 

一方で出産した後は、想像以上に大変でした。母乳で子どもに体力や栄養をかなり持っていかれる感じで、とにかく疲労感が強く、体がずっとだるい状態が続いて…。正直、妊娠中よりも産後の方がはるかに辛かったです。

産後は「こんなの聞いてなかった!」ということがどんどん起きましたね。そこでホルモンバランスが崩れたり、寝れないことが本当につらかったです。「なんで私だけこんな思いをしなきゃいけないんだろう?」と、追い詰められた気持ちになることもありました。

出産してすぐに「もう一人欲しい」とおっしゃる方もいますが、私の場合は「早く雪の上に戻りたい!」という気持ちがとにかく強くて。正直、分娩台で縫われている最中から「私、いつ雪上に戻れるんだろう?」って、そればかり考えていました。

ーそして産後わずか2ヶ月で大会に復帰し、見事優勝されました。体力も万全ではない中、どのように準備し、勝利を掴んだのでしょうか?

実は、復帰に向けて特別に取り組んだことというのはあまりないんです。妊娠中からのトレーニングの継続が大きかったと思います。ただ、やはり体力はすぐには戻りませんでした。産後は立っているだけでも辛く、すぐに息が上がってしまう状態…。他の選手と比べてトレーニングの質も量も圧倒的に劣っていました。

それでも勝てた一番の要因は、長年の経験によって身体に刻み込まれた技術と感覚ですね。体力面では大きなハンデがありましたが、身体が覚えていた動きや勝負勘は鈍っていませんでした。まさにベテランならではの強みが勝敗を分けたのだと思います。

「私だけの子どもじゃない」母としての葛藤と、競技への情熱

ー家事や育児について、普段どのように旦那様と役割分担や協力をされていますか?

夫は普段不在がちですが、家にいる時は率先して育児や家事も分担してくれます。とはいえ私が子どものスケジュールに合わせて動くことが多く、その負担の偏りからぶつかることもしばしば…。そのため、夫とは都度しっかり話し合いながら、協力の仕方を柔軟に見直すようにしています。

さらにお互いの仕事の性質を理解し合うことも、すごく大切ですね。私が代わりのきかない現場仕事が中心なのに対し、夫は比較的融通がきくことも。この違いがあるので、状況に応じて柔軟に役割を調整しています。両親のサポートにも助けられながら、今は家族全体で協力して、なんとか日々の生活を回している感じです。

ー実際に、仕事と育児のバランスを取る上で、日々どのように考えて工夫されていますか?

まず大前提として、仕事は自分のやりたいことですし、人生も犠牲にしたくないので、「割り切り」を大事にしています。例えばスケジュール管理もその一つです。今年は(仕事に)出る頻度を自分で決めて、その分オフシーズンなどでカバーするようにしています。産後すぐの頃は、母乳だったので搾乳機を山に持って行って対応したりもしました。 結局、パフォーマンスは努力で戻せても、生活そのものは出産前の120%には戻らないんですよね。どこまで自分が我慢できて、どこで妥協点を見つけるか。その許容範囲を自分で決めることが、バランスを取る上で一番難しく、重要だと感じています。

ーお子さんとの関係で、仕事を持つ母親としての葛藤を感じる瞬間はありますか?

葛藤はあります。泊まりがけの仕事が多いので、出かける時に「寂しい」と泣かれると、やはり心が痛みます。仕事先に連れて行きたい気持ちもありますが、親のエゴかもしれないし、子どもが待てるかという現実的な問題もあって難しいですね。今はスキーを教えているので、「滑れるようになったら、一緒にイベントに行こうね」と話して、目標を持たせるようにしています。

ーそうした中でも、出産を経てアスリートとしてのキャリアを続けることには強いこだわりがあったそうですね。

ありましたね。女性は妊娠・出産でキャリアが止まりがちですが、私にはそれが本当に悔しくて、絶対に嫌だったんです。オンリーワンの存在として「小野塚彩那じゃなきゃダメだ」という存在価値を示したい。そのためにも競技を続けて結果を出す。「絶対に優勝してトップを守り抜くぞ」と、そういう強い気持ちでいました。

ーアスリートとして、妊娠・出産はスポンサー契約などに影響することもあるかと思いますが、その点はいかがでしたか?

妊娠・出産が契約に影響することは現実問題としてあります。契約が打ち切られたり、条件が変わったり…。幸い私は良いスポンサーさんに恵まれましたが、それでも、サポートに見合う成績を残せるかという心配やプレッシャーは常に感じていました。 ただ、子どもが生まれたことで強くなれた面もあります。以前なら無理をしてでも引き受けていたようなことでも、今は「この日は難しいです」と、自分の状況をしっかり主張できるようになりました。これは大きな変化ですね。

ー社会にはまだ「子育ては女性の役目」という風潮も根強いですが、それについてはどう感じますか?

時代とともに少しずつ変化はしているものの、「子育ては女性の役目」という風潮はおっしゃる通り今でも残っていて、私自身も違和感を覚えます。実際「女性だからやりたいことができない」と悩んでいる人も多いのではないでしょうか。

特に私の母親世代では「家事や育児は女性がやるべき」と考える人が多く、「旦那さんが働いているんだから(女性がやるのは)当たり前」「母親なんだから寝られなくて当然」と聞いたことがあります。でも私は素直に「なんで?」と疑問を持ちましたし、「子どもは私ひとりの子じゃないよね?」とSNSなどを通じて発信していくことが大事だと感じています。そうやって自分の考えを声に出せるかどうかが、大きな違いにつながるのだと思います。

ー海外でのご経験も踏まえ、子育てを取り巻く環境について日本との違いを感じる点はありますか?

サポート体制そのものより、根本的な「考え方」の違いを感じます。例えば、海外ではベビーシッターを頼んで夫婦で食事に出かけるのはごく普通のことですが、日本では「子どもを置いていくなんて」という見方をされがちですよね。そうした文化が根付けば良いとも思いますが、正直、私自身も知らない人に子どもを預けることにはまだ抵抗があって…。日本で広く受け入れられるのは、まだ少し難しいのかもしれないですね。

ー今後、女性がもっと多様な働き方や生き方を選べる社会になるために、何が必要だと考えますか?

働き方の選択肢を広げ、それが許容される社会になることが重要だと思います。「こうしなきゃいけない」「こう見られる」といった社会の決めつけも、実は私たちが無意識に作っている部分が大きいのではないでしょうか。 

最近スキー場で、他の保護者の方がスキーをしながら電話ミーティングをしているのを見かけました。仕事の合間に子どもと過ごす、すごく自由で柔軟な働き方だな、と。私の仕事では難しいスタイルですが、ああいうフレキシブルな働き方がもっと広がれば、女性は格段に生きやすくなるはずだと期待しています。

映像を通して伝える、女性としての挑戦

ーここからはドキュメンタリー映画『MOMENTAL』の話について伺います。まず、制作を始めたきっかけを教えてください。

この映画を作った一番の理由は、「自分のやりたいことを諦めないでほしい」「挑戦する気持ちを持ち続けてほしい」というメッセージを伝えたかったからです。私自身、スキーを通じて「やりたいこと」と「やらなきゃいけないこと」の葛藤を常に感じてきて、それは多くの女性にとっても他人事ではないはずだ、と強く思ったことが背景にあります。 

公開にあたっては、もちろん否定的な意見もありましたが、それも覚悟の上でした。最終的に、子育てをしながら頑張る多くの女性たちに共感してもらえたことで、この映画を作った意味があったと強く感じています。

ーなぜ映画という媒体を選んだのですか。

理由は大きく二つあります。一つは、SNSなどでは見せきれない「背景」まで深く描きたかったからです。普段見せるのは“かっこいい姿”かもしれませんが、母親としての生活や家族との関わりがあってこその私であり、その全てを映像で伝えたいと思いました。

もう一つは、スキーヤーだけでなく、より多くの人に届けたかったからです。従来のスキームービーはファン向けになりがちですが、「女性の挑戦」や「母親」というテーマなら、スキーに馴染みのない方にも響くはずだと考えました。技術的な滑り以上に、私の「ストーリー」そのものを観てほしかったんです。

ーこの映画を通じて、観客の皆さんに一番伝えたいこと、感じてほしいことは何ですか?

特定のシーンというよりは、全体の流れを通して何かを感じ取っていただけたら嬉しいです。これは作り込まれたストーリーではなく、私の日常や山に向き合う姿をありのままに追ったドキュメンタリーなので。 私が大切にしているのは「挑戦」ですが、その形は人それぞれ。何も特別なことだけが挑戦ではありません。だからこそ、この映画を観てくださった方が、「自分にとっての挑戦って何だろう?」と、ご自身の状況に置き換えて考えるきっかけになったら、それ以上に嬉しいことはないですね。資格を取ることだって、仕事で一歩踏み出すことだって、立派な挑戦だと思います。

特に、キャリアが一時的に止まりがちな女性の方々には、何かを感じて「自分ごと」として捉えていただけたら。スキーという私のフィールドを通して、そんな普遍的なメッセージを届けたいと思っています。

やりたいことを、やりたいと伝える勇気を

ーキャリアでの大きな決断をする際、小野塚さんは何を基準に判断されていますか?

「私の人生は私が決める」というのが私の基本的なスタンスです。だから、周りの声や年齢に惑わされて、自分が本当に「やりたいこと」への挑戦を諦めることはしたくありません。挑戦しなければ後悔しか残りませんから。キャリアの節目も、ハーフパイプの時のように、自分が「やり切った」と納得できる瞬間を大切にしたいです。タイミングも含め、全て自分で決断する。その覚悟でいたいと思っています。

ーその主体的な意思決定のスタイルは、どのような経験から培われてきたのでしょうか?

もしかしたら、家庭環境での経験が大きいかもしれません。スキーは自由にやらせてもらえましたが、一方で家事などになると、昔ながらの「女性の役割」を求められることもあって。その度に感じた「なんで?」という強い疑問にきちんと向き合い、自分で考えて「違う」と声を上げ、いわば「殻を破ってきた」経験が、今の私の意思決定の核になっているように思います。

もちろん、他の人の生き方を否定するつもりは全くありません。母親業に専念する生き方も素晴らしいと思います。ただ、どんな選択をするにしても、それを誰かに強制されるべきではない。自分の人生は自分で決める、それが当然だと感じています。

ーご自身の責任で道を切り開く一方で、妊娠・出産などサポートが必要な場面もあります。そのバランスはどうお考えですか?

そのバランスは本当に難しいですよね。基本的には、努力も責任も自分で引き受ける覚悟で「やりたいこと」を貫きたいと思っています。一方で、妊娠や出産となると、どうしても自分一人では限界があり、周りのサポートが不可欠です。現に、私も家族の理解があって、今の働き方が成り立っています。だからこそ、そのバランスを取るためには、まず「自分がどうしたいか、何が必要か」を勇気を出して周りにしっかり伝えること。それが何より大切だと考えています。

ー個人の挑戦と子育てを両立させる上で大切にされていることは何ですか?

大切にしているのは、「子供がいても、自分の挑戦を諦めない」という姿勢ですね。人生一度きりですし、母親であるという理由だけでやりたいことを我慢するのは違うな、と。正直、「子ども中心になりすぎたくない」という気持ちもあります。少し申し訳ない気持ちもあるのですが、「私の人生は私のもの」という考えを持つことで、精神的にすごく楽になりました。それに、親が挑戦する姿を見せるのは、子どもにとってもきっと良い刺激になるはず。「君もやりたいことを見つけてね」という私からのメッセージでもあります。

ー今後、特に力を入れていきたい活動や、挑戦してみたいことはありますか?

オリンピックメダリストとしての経験を最大限に活かし、その立場だからこそできる社会への貢献や、次世代へのメッセージ発信に取り組んでいきたいです。それを通じて、唯一無二の「オンリーワンのスキーヤー」としての存在価値を高めていけたらな、と。アスリートとしての時間は限られていますが、その経験を糧に、将来的には新しい分野でのやりたいことにも挑戦し、貢献の幅を広げていきたいと考えています。

ーでは最後に、これから何かに挑戦しようと考えている方々に向けて、小野塚さんからメッセージをお願いします。

まず伝えたいのは、「不可能なんてないし、やりたいことを諦める必要は全くない」ということです。どんな挑戦でも、最初の一歩は、あなたの「やりたい」という気持ちを声に出して、周りに伝えてみること。伝えること自体が、大きな挑戦の始まりです。 心配しないでください。勇気を出して想いを伝えれば、必ず応援してくれる人、サポートしてくれる人が現れます。だから、その伝える力を信じて、諦めずに、あなたのやりたいことを貫き通してください!

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