日付の見えない本番。NBAチア合格を掴んだコロナ禍の「準備力」(チアダンサー・小笠原礼子)

2020年夏にBリーグ・サンロッカーズ渋谷のチアリーダー「サンロッカーガールズ」を引退し、NBAへの挑戦を宣言した小笠原礼子さん。わずか4カ月後に行なわれたデトロイト・ピストンズのオーディションに参加し、見事合格しました。

ピストンズのダンスチームの中では、唯一の日本人で、スタッフも含めて最年長(34歳)なのだそう。オーディション情報が限られたコロナ禍で、いかに狭き門を突破したのか。先が見えない中での進み方に迫りました。

聞き手:小田菜南子、文・写真:田中紘夢

 

1度は落ちたオーディション。1年越しの挑戦で合格

小田
NBAに挑戦したいという想いはいつ頃から芽生えたのですか?
小笠原さん
2016年に、当時所属していた競技チアの社会人チームを引退して、何かに挑戦しようと思った時に、以前から好きな国だったアメリカが思い浮かびました。とはいえ、NBAのチームへの入り方は分からなかったし、実力も足りていませんでした。

そんな時に、日本のチアのチームであるサンロッカーガールズの動画を見て、衝撃を受けたんです。パフォーマンスがアメリカナイズされていて、ヒップホップもジャズも踊るし、かつクオリティも高い。調べてみたら、ディレクターが元NBAダンサーだったので、まずはここに入ろうと。

まず日本でNBAレベルに近いチームを探したんですね。
はい。でも1度目のオーディションは落ちてしまって、翌年にもう1回挑戦して合格することができました。1度目のときはレベルが全然足りなくて、それから1年間はとにかく踊りまくって練習しました。
それまでも高いレベルのチームにいたのに、Bリーグのダンスチームの壁は高いのですね。
サンロッカーガールズに入って1年目も必死でしたね。ぼんやりとNBAのことも考えていましたが、日々の練習についていくのに必死でそんな余裕はなかったです。目の前のことを一生懸命やれば次につながるはずだと。2年目になって、実力がついてきたタイミングでディレクターに相談しました。

そうしたら「とりあえずキャンプに行ってみたら?」と言われました。アメリカには、NBAやNFLのチアリーダーが集まるダンスキャンプがあります。そこで世界的なコレオグラファー(振付師)から振り付けをもらって、その場で踊り、各チームに持ち帰るんです。

現場に行って肌で感じるのはもちろんですが、サンロッカーガールズにとってもプラスになり得るということですね。
そうですね。練習を少しお休みさせてもらって、ラスベガスでキャンプに参加しました。実際に足を踏み入れると、とにかくレベルが高かったです。その反面、NBAを目指すのも無謀すぎる挑戦ではないなと。むしろ「行けたらすごいから、やっぱり行こう!」って。

◆ここまでのポイント
・1度落選しても、練習を重ねてリベンジする
・目の前のことを一生懸命やれば、次につながる
・無謀だと諦める前に、そのレベルを肌で感じてみる

 

「2週間踊らなかった」。Bリーグ打ち切りで折れた心

小田
2020年7月にNBAへの挑戦を宣言しましたが、新型コロナウイルスの感染拡大も含め、様々な障壁があったのではないかと思います。
小笠原さん
ビザを申請するために、メディア掲載などの実績が必要だったので、メディアにプロフィールを30〜40件くらい送りました。チアは団体競技なので、個人の実績を証明するのが難しいんです。ご時世的に「コロナ禍での挑戦」といった形で地方紙や全国紙に取り上げていただけたので、ありがたかったですね。
34歳でのNBAへの挑戦。年齢は気にならなかったですか?
もちろん若ければ若いほど良いと思います。ただ、30歳を超えた私ががんばることに意味があるかなと。チームの若い子が言い訳できなくなったり、誰かが何かを始めるきっかけになったり。だから、34歳という年齢は「不利」ではなく「武器」だと思っていました。子供に夢を与えるよりも、同世代に夢を与えていきたいですね。
礼子さんは、「○○だからダメ」というコンプレックスとは無縁そうです。
昔はありましたよ!私は青森の出身でなまりが強く、地方出身というコンプレックスも強かったんです。「都会に生まれていたら……」と思うこともありました。他にも個人的なコンプレックスは抱えていましたが、そんな私が挑戦して成功すれば、同じ境遇の人に「大丈夫だよ」と言えると思うんです。

昨年3月には、Bリーグのシーズン途中での打ち切りが発表されました。活躍の場がなくなってしまったことで、モチベーションの維持が大変だったのでは?
そこで一回、NBAへの挑戦も簡単に諦めてしまいましたね。「アメリカも行けないだろうな……」と心が折れてしまい、それから2週間は踊りませんでした。毎日踊っていた自分からすると、衝撃なことです。

ただ、そのときは周りにすごく助けられました。オンラインで初心者にダンスを教える機会があって、みんなが初めてなのに一生懸命がんばっていて。その姿を見たら、私ももう一回がんばろうと思えました。

オーディションに向けては、具体的にどのような練習を積んできましたか?
コロナ禍でどのチームがいつ新規メンバーを募集するかもわからない。だから、チャンスがあったらいつでも掴める状態にしておこうと思ったんです。

そこからは、NBAチアのあらゆるチームのテイストに対応できるように、毎日違うジャンルのレッスンを受けて対策していました。大変ではありましたけど、楽しかったですね。もしかしたらどこからも募集が出ない可能性もあったんですけど(笑)。

◆ここまでのポイント
・34歳という年齢は「不利」ではなく「武器」
・自分が成功すれば、同じコンプレックスを持つ人たちに勇気を与えられる
・「明日が本番」という気持ちであらゆる準備をする

 

先が見えない中でのモチベーションの作り方

小田
先が見えない中で継続する力は、ものすごい才能だと感じます。
小笠原さん
正直、情報が出るのを待っているようで、「出たらどうしよう……」という気持ちもありました。「明日できるか?」と言われたら、全然できる状況じゃない。でも、いつあるか分からないオーディションのために、レベルを上げておかないといけない。だから「明日が大会だぞ!」という気持ちで、毎日の練習に取り組んでいました。
サンロッカーガールズでの活動や仕事を継続しながら、準備を進めていたのですか?
サンロッカーガールズは、NBA挑戦を宣言する直前に引退。仕事は続けていましたが、10月から12月までの3カ月間は休職しました。会社側にも挑戦は理解していただいていて、会議室をスタジオ代わりに使っていたりしたのですが、急にいなくなられても困るだろうと。休職する3カ月間を、挑戦のタイムリミットに設定していました。
思い切って仕事から離れて、勝負に出たのですね。
その期間はとにかく踊ったり、いろんな人に相談したりしていました。そうしたら11月末にピストンズが、Instagramでオーディション情報を出したんです。突然のことだったので、気をつけてチェックしていなければ見逃していたと思います。
オーディションはどのような形式で行なわれたのですか?
情報が出されたその週に、オンラインで2回の練習会がありました。それから課題曲が送られてきて、その1日後にはもう画面越しのオーディション。あまりやったことがない独特なダンスでしたが、丸1日かけて準備しました。

結果的にファイナルに残ることができて、再度オンラインで課題に臨みました。そして、結果発表のメールが来ましたが、確認してみると「ファイナルのファイナルをします」という内容で(笑)。生き残れたことには違いないので、ひと安心しました。

かなり僅差だったということでしょうか。
そう思っていましたが、翌日にファイナルのファイナルを終えたら「実は、ここにいるのは全員合格者です!」と言われました(笑)。Zoom上でみんなが「ワー!」となっている中、私は1人でスタジオを借りてやっていたので、ぽつんとしていましたね。

オーディションの情報がどこからも出ない可能性がある中で、休職までしてしまう。勇気がいる判断でしたね。
正直、最初の1カ月は怖かったです。でも、結果的にはオーディション情報が出てすぐに1日中スタジオにこもるなど、全力を尽くすことができたので正解でしたね。
合格したことも様々なメディアに掲載されているので、いろんな人に勇気を与えていると思います。
そうだと嬉しいです!大事なのは、何かを待ったり、何かのせいにしたりするのではなく、自分で考えてその状況をどうするか。状況は変わらなくても、自分自身が変われるかどうか。子供たちにダンスを教える時には「私は変われたよ!」って伝えています。この経験が、多くの人に伝わってくれると嬉しいです。

◆小笠原礼子さんに学ぶ3つのこと
・一度不合格を受けても、練習して再挑戦する
・先が見えないときこそ、いつ本番がきてもいい準備をしておく
・時には安定した環境を捨てて、夢を最優先する

 

■プロフィール

小笠原 礼子(おがさわら れいこ)

青森県出身。高校と大学は地元・東北でチアリーディングに励み、大学卒業後は社会人チーム「DEVILS」に加入。競技チアで日本一に輝くなどの実績を残し、その後はサンロッカーズ渋谷のチアリーダー「サンロッカーガールズ」へ。そして2020年夏、コロナ禍でNBAへの挑戦を宣言。4カ月後にデトロイト・ピストンズのオーディションに合格した。

Twitter:@reiko_324
Instagram:@reiko.324

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