「ママアスリート」を死語に。寺田明日香選手の夫・佐藤峻一さんの使命感

寺田明日香選手と夫・佐藤峻一さんの写真

日本の女子100mハードルの記録を19年ぶりに塗り替え、2019年の世界陸上競技選手権の出場権を掴んだ寺田明日香選手。出産、競技転向を経た6年ぶりの復帰ですが、ブランクをものともせず快挙を重ねています。

育児とトレーニングを両立する彼女を支えるのは、企業経営の傍らマネージャーを務める夫・佐藤峻一さん。寺田選手が一度陸上競技を引退する前から、彼女を支え続けてきました。夫であり、マネージャーという二つの立場から語る寺田選手とのあゆみと、2人が子どもに見せたい“最高の景色”とは。
(聞き手・竹中玲央奈/編集・小田菜南子)

支え合うけど、依存しない関係。彼女のアスリート人生を冷静にサポート

彼女と初めて出会ったのは、僕が日本陸上競技連盟(以下陸連)で働いていたとき。陸上競技のイベントに彼女がゲストとして参加したのがきっかけでした。その後も何度かイベントや大会等で会う機会はあったのですが、そのたび彼女は10代ながら拠点にしていた北海道から本州まで出てきていたので、現場での簡単なサポートをするようになりました。

お互いの信頼関係は築いていったものの、「付き合う」までには悩むこともありました。彼女は6歳半も年下でしたし、北海道と東京との遠距離。さらには日本を代表するトップアスリート。負担になるなら付き合わないほうが良いかなと思っていましたが、その悩みを払拭できたのは、彼女の走りでした。

付き合う前に彼女が出場する国際大会を見に行ったら、すごく良いパフォーマンスをしていたんです。試合後に、「僕が見ていたから良い走りができた」と言ってくれました。冗談半分だとは思いますけど、そのときに「付き合っても大丈夫だな」と。女子選手の恋愛は良く見られない風潮もありますし、成績も落ちると言われることが多い。ですが、そういった心配がないと思えたんです。

それから遠距離恋愛がスタートして、結婚するまでの3年間、月に1回は必ず札幌に会いに行っていましたね。東京から札幌までの直行便は何本もありますし、当時は格安の飛行機が流行りだしたときだったので、そこまできついとは感じなかったです。

成績低下をきっかけに、彼女を支える意思が強くなる

付き合う上での心配はなかったものの、付き合い始めてから彼女の成績が落ちてしまったことは確かでした。それまではインターハイと日本選手権を3連覇していて、6年間負けなしだったのに、その後の3年間は日本選手権で準決勝敗退、欠場、予選落ち。周りからしたら、明らかに僕のせいだと思うじゃないですか。僕も彼女も調子を落とした原因が僕にあるとは思っていなかったですけど、単純にすごく悔しい思いをしました。

当時、彼女は疲労骨折や生理不順に加え、摂食障害にも陥っていました。女子アスリートの3大疾患全てを患っていたんです。体重も落ちていたのですが、毎月会うときにはその変化に気づけなくて。できることはしてあげたいと思っていましたし、していたつもりだったのに…。成績が落ちたことをきっかけに競技者を辞めると決意した彼女を、競技引退後の人生でもっと幸せにしたいと感じて、結婚を決意しました。

本当のところはわからないですが、恋愛をしていたことも成績に影響を与えていたのかもしれないですね。彼女は僕のせいだと言われたくないと思っていましたけど、実際にそう言われてしまうことはありました。

彼女の才能が発揮される場所へ。出産後に考えた復帰への道筋

子どもがほしいという話をしたのは、彼女が引退した2013年の翌年、2014年9月に2020年の東京オリンピック・パラリンピック開催が決まったほんの数日後です。そのときに子どもができれば、2020年には6歳になっているので、東京五輪が記憶に残るかなと。子どもの頃の記憶が残ってるのって、6歳くらいからじゃないですか。僕も彼女もスポーツが大好きなので、子どもにも地元開催の五輪を味わってほしかった。

そうして子どもにも恵まれたのですが、競技に復帰すると元々決めていたわけでは全くありませんでした。妊娠中、産後で、女性のからだが想像以上に変化を受けるというのも驚きましたね。出産後、ゲスト出演したスポーツのイベントでは、午前中は元気だったのに、午後に急に具合が悪くなり、お母さんってこんな急に体調が変わるんだなと。他のイベントで10m走をしたときは、足がものすごく遅くて、素人の僕でもからだが浮いてるのが分かりました。やはり出産のブランクは大きいなと感じましたね。

ただ、どんな道であっても彼女の才能が生かされる道に進ませてあげたいとは考えていました。あまり喧嘩することはないのですが、「それ本当にやりたいの?」というのは突き詰めます

引退して同棲を始めたときには、カフェでバイトしたいと言っていて、猛反対したこともありました。生半可な気持ちでやるなら応援はしない。何が何でもしがみつきたいものがあるなら、全力で支える。競技復帰はしないとしても、彼女は運動神経がいいですし、世界の舞台を経験したトップアスリートですから、それを活かした活動をしたほうが良いと思っていたんです。僕はスポーツ界に人脈を構築してきましたから、それも活かせますし。今思えばそこまで反対する必要はなかったのかなと感じますけど、もしそこで道を変えてしまっていたら、今の姿はなかったかもしれないですね。

ママアスリートが競技に専念できる環境づくりを

今はほとんどの大会で期待を超える数字を残しているので、本当にびっくりしています。客観的に見たら無理だと思っても、彼女はそれを全部超えていっているので。

ママアスリートで、かつ競技転向も経験してきたので、彼女の活躍はママさんやアスリートなど、多くの方々に夢を与えられると思っています。だからこそ本気で支えていきたいですし、家族のせいでダメになったとは言わせたくないんです。だから、生活や仕事の面は基本的にすべて彼女優先で考えています。彼女の練習や試合のスケジュールに合わせて僕も動く感じです。特に試合がある週は彼女に負担をかけたくないので、夜の予定は一切入れないようにしています。

でも、僕一人で頑張っているわけではない。娘の送り迎えはほとんど僕がやっていますけど、彼女は大学院で子育ての勉強をしていたし、家事も得意。彼女自身子どもとの時間がもっとほしいけど、一方で競技にも使命感をもって取り組んでいる。だから僕は不器用ですけど、できることは僕がやって、彼女にしかできないことは彼女がやるというスタンスをとっています。

メディアで僕のことが取り上げられるときは僕が「サポートをしている」と言われることがありますけど、そうは思っていません。単純に子どもが大好きですし、彼女が競技に専念している間、僕が子育てできる状況にいるのがすごく幸せなことだと思っています。もちろん苦労も多いですが、「ママすごいね!」っていう瞬間を会場で味わえることが幸せです。

寺田明日香選手の写真2019年2月取材時の寺田明日香選手。

ママアスリートが活躍する上では、保育園の存在もすごく大事だと思います。彼女はもともと会社に所属しないで競技をしていたので、個人事業主でした。だから、(※)保育園に預けるときに点数が低かったんです。

※認可保育園に入園を希望するときの点数。定員数を超えた場合には、この点数をもとに入園選考が行われる

ママアスリートにとって保育園の存在は本当に大きいですし、朝から夕方まで子どもを預けられると全然違いますからね。こういう話をすると、「ママと一緒にいる時間が少なくてかわいそう」という批判が飛んでくることも稀にありますが、僕は全くそう思わない。母親が必死に努力して、目標に近づいている姿を見せることが、子どもに悪影響なはずがないですよね。ママの愛情は確実に娘に伝わっていると自信を持って言えます。

五輪で活躍する“母の姿”を娘に見せたい

彼女が東京五輪で活躍する姿を、娘に見せてあげたいという思いは強くあります。東京五輪が決まった当時は、僕と彼女と子どもの3人が、新国立競技場で観戦しているイメージしかできなかった。彼女が選手として出る姿なんて陸上を引退した翌年は想像もできなかったので。

ママアスリートはそもそも数が少ないですけど、五輪を目指して産んでいる方はとりわけ少ないじゃないですか。でも、うちの娘は「オリンピックベイビー」とも言えるので、最高の舞台を見せてあげたいですね。

東京五輪のときに彼女はちょうど30歳になるので、アスリートとしては脂が乗っている時期です。もし東京五輪に出られれば、講演などの機会もすごく増えると思います。彼女の活躍を見て自分の将来像を描いてくれるアスリートが増えてほしい。「ママアスリート」なんて言葉が当たり前になって、使われなくなるくらいに。僕は彼女の発信の場を増やすことで、そんな未来をつくっていきたいと思っています。

寺田明日香選手の夫・佐藤峻一さんの写真

■寺田明日香選手のインタビュー記事

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