「好きだから」から一歩掘り下げる。競技を続ける理由

撮影:Orie Oishi

 

皆さん初めまして。貴田菜ノ花(きだなのは)と申します。武術太極拳という競技の日本代表内定選手です。まずは、この聞きなれないであろう競技について紹介するべき……かもしれませんが、今回は何かを“続ける”ということについてお話しようと思います。

初めての日の丸と、父のやさしい嘘

私は8歳の時、“武術太極拳”という競技に出会いました。この頃の記憶があまりないので、これを機に、当時の様子を両親に聞いてみたところ、「少しぽっちゃりしていて、何があっても練習は休まなかった」そうです。
ぽっちゃり。そうだ、わたし食いしん坊なんだった……(笑)。

両親はカンフー(武術太極拳の通称)映画が大好きで、それを知った祖母がたまたま見つけてきたカンフー教室。私自身、もともとカンフーが大好き!ではなかったため、なんとな〜く通い始めたわけですが、それからおよそ4年で“日の丸を背負う”という経験をすることになります。

それは12歳で日本代表に初めて選出されたときのこと。(第6回アジアジュニア武術選手権大会)初めての大舞台が決まっても、相変わらず食いしん坊だった私に、父は「体重測定があって、重たいと出場失格になるらしい」と私を脅し……いいえ、“やさしい嘘”をつきました。実際は、体重測定なんて一切ありません(笑)。父の言葉を真に受けて、「これはヤバいぞ」と焦った私は、鍛錬を積み、しっかり体を絞って大会に臨むことができました。

父の“優しい嘘”のおかげで、私はその大会で優勝を飾ることができました。
表彰式で君が代が流れた時、父は泣いていました。

撮影:Orie Oishi

意外と学生らしい?アスリートの青春

それ以降アスリートとしての意識が高まり、中学校入学の頃にはカンフー中心の生活が当たり前になっていきました。競技を優先するために、学校の部活動に所属しない選択をしました。この選択をするアスリートは少なくないでしょう。だからといって学業は疎かにできません。そのため私は、休み時間に課題を終わらせ、さらに家での勉強時間も確保するために終業のチャイムと同時に友達と別れ、下校する日々を送っていました。「なんのためにカンフーを続けているの?」と聞かれることもしばしば。そんな時はただ「好きだから」と答えていました。

その頃、担任の薦めもあり、生徒会副会長を務めることになりました。それまでカンフー一本だった私にとって、横のつながりができた学校生活は、全てが新鮮で、刺激的。

3年生の夏には、生徒会劇で主役にも抜擢されました。仲間と真剣に向き合い協力し、心を一つにして素晴らしい劇をつくりあげることができました。最高傑作だったなどの感想やお褒めの言葉をたくさんいただき、人の心を動かすことにワクワクや楽しさを実感しました。

練習・勉強・生徒会の両立はとても大変でしたが、色の濃い“青春”の日々を過ごしていたと思います。大会前に劇の練習を休んだ時も、切り上げてカンフーの練習に行く選択をした時も、理解し干渉し過ぎず、見守ってくれた仲間に感謝しています。みんなで校舎から見た、眩しくて美しい夕陽を忘れることはありません。ほら、まさに“青春”。

前述の通り、ジュニア時代のわたしが競技を続ける理由は、譲れない「好きなこと」だったからです。競技が生活の一部になっていたため、“辞める理由もなかった”とも言えます。

中学校では生徒会活動もあって、これぞ青春を謳歌したわけですが、高校では部活にも生徒会にも属さず、文武両道で国際大会優勝を目標に、ただただカンフーにのめり込む毎日を過ごしていました。

「好きこそ物の上手なれ」と言うように、1年生で出場したアジアジュニア武術選手権大会では、金メダル2個と銀メダル1個を持ち帰ることができました。それなりに女子高生というものを楽しみ、受験に向けて予備校にも通いました。もし、競技に勝る楽しさを知っていたら?他にも趣味があったら?今頃、どんな道を歩いていたのだろう…。

撮影:Orie Oishi

コロナ禍で気づいた競技への想い

大学入学後、シニア選手に転向してすぐに「世界大学武術選手権大会」に出場し、4位という悔しい結果に終わりました。次こそはと意気込んでいた2019年は、ベテラン選手に勝ちきれず…。それ以降は、新型コロナウィルスが蔓延し始め、この2年間有観客の大会は一度も開催されていません。緊急事態宣言下で練習もすべて中止となりました。

「あぁ、夜ってこんなに長いのか。」人生で初めて、競技以外のことにゆっくり時間をかけられるようになりました。練習できないならその分今のうちに沢山の経験をしようと、積極的に活動しました。その結果として、企業様にスポンサードしていただいたり、他競技の選手と共同でコスメ開発プロジェクトを始めたりしました。多方面にアクションができたと感じています。

このように、今までみたことの無かった世界に一歩足を踏み入れたことや他競技選手との交流によって、競技を続ける理由について自問自答することが多くなりました。ジュニア時代は続ける理由として「好きだから」と即答していました。もちろん間違ってはいません。ただ、コロナ禍で気付いたことがあります。私は、ただ単純に「誰かに自分の演武を見てもらいたいから」なのだと。中学校の生徒会劇で、熱い想いで、必死に演じた少女のように。

昨年12月に行われた「IWUF武術套路バーチャル競技会」に出場しましたが、新型コロナウイルス蔓延により会場は無観客、オンラインでの開催となりました。結果は良かったのですが、演武後の達成感はそれとなく薄く、もやもやとしていました。なぜなら、私が一番求めているのは、観客の皆様の声援、臨場感、ライバル選手の存在、各地の方々との交流です。これが何よりも競技を続ける原動力になっています。そのために、どんなにきつくても、死にものぐるいで練習をしてきました。

世界中の誰もが願う当たり前の生活、早く戻ってきてほしいですよね。

写真提供:本人

“続ける”ということ

何かを“続ける”ことには、必ず原動力があるはずです。「好きだから」「スキルアップしたいから」「成績を出したいから」など、理由はさまざまです。

冬季オリンピックで多くの日本人選手が活躍していました。私が最も印象的だったのは、フィギュアスケート男子の鍵山選手が初出場で銀メダルを獲得した時です。キスアンドクライで得点が発表された時、コーチでもあるお父様が鍵山選手の隣で顔をくしゃくしゃにして喜んでいる姿がとても印象的でした。その姿が、あの時やさしい嘘をついた父と家族、コーチ、友人、応援し支えてくれている方々と重なりました。私も、早く大会で活躍する姿を見てもらいたい、見せてあげたい、見せてあげなければ!と励みになりました。スポーツって素晴らしいですよね。

もし、あなたが何か好きなことを見つけた時や、今も続けていることがあるのならば、一度続ける理由について思いを巡らせてみてはいかがでしょうか。それについて自分の価値観に気づけたり、さらなる探究心が湧いてきたり、課題が見つかり視野が広がるいい機会になるかもしれません。

 

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