ヴィクトリーナ姫路・井上愛里沙、U15監督として新たな船出「世界で戦える選手を育てたい」
2024-25シーズン限りで現役を引退した元バレーボール女子日本代表・井上愛里沙(いのうえ・ありさ)さん。国内の強豪・SAGA久光スプリングスで活躍、フランスでもプレーをするなど経験を積み、今後は現役生活で最後に所属したヴィクトリーナ姫路で新たに新設される中学生チーム(U15)の監督に就任します。
しかし、その輝かしい経歴の裏では、東京2020オリンピックでの日本代表落選など、数多くの悩みや苦悩があったといいます。現役生活を終え、新たな一歩を踏み出す今、激動の現役生活そして未来への展望を伺いました。

現役時代の井上さん。写真提供:株式会社姫路ヴィクトリーナ
目次
学生時代の挫折を胸に、ヴィクトリーナ姫路U15の監督就任へ
ー今回新設されたヴィクトリーナ姫路U15の監督に就任されましたが、もともと指導者になりたいという思いがあったのでしょうか?
指導者になりたいという思いよりは、どちらかというと「新たにチームを作りたい」という気持ちのほうが大きかったんです。京都出身なので、「京都府のバレーのレベルを向上させて、将来世界で活躍できる選手を輩出できるチームを作りたい」というイメージをしていました。
ただ、これまでの経験を振り返り、引退後すぐに自分が貢献できることは何かを考えたときに、「今までトップレベルで培ってきたことを若い世代に伝えて、世界で活躍できるように育てていきたい」と思うようになりました。
少しずつ指導者という道もあるのではないかと考え始めていたところ、ちょうどヴィクトリーナ姫路からお声がけいただき、お受けすることにしたんです。
ーご自身の意思とチーム側のタイミングがちょうど重なって決まったのですね。
そうですね。ただ、最初はやはりコーチとして、いろいろな指導スタイルを学んでいきたいと思っていたので、いきなり監督という立場には不安もあります。ただ、どんな立場でも指導者の先輩方から学びながら、自分らしい指導ができるようになれたら、それは自分にとっても大きな成長につながるのではないかと今は考えています。
ー年代としては中学生を指導することになりますが、そういった年代の選手に対して、ご自身の経験からはどういったことを伝えていきたいですか?
私自身、中学生時代にバレーが嫌いになってしまった時期がありました。そんな中で、高校で新たな発見があり、再び「バレーって楽しいな」と思えるようになって、今に至っている背景があります。
当時を振り返ると、中学生の頃はまだ知識もなく、与えられたことをこなしていた印象でした。一方で高校では、「自分で考えてプレーする」「自分で判断して決める」ことで結果が出たとき、それがただ勝ったときの何倍も嬉しかったんです。
中学生時代については、しっかりと基礎が身についた時期でもあるので、今となっては後悔は全くありません。ただ、中学生という年代から「自分で考えて決断できる選手」を育てていけたら、その経験は将来バレーボールを辞めたあとでも、人として成長していく上で必ず役立つはずです。
社会に出れば、自分で困難に立ち向かわなければいけない場面が必ずやってきます。そんなときに、「あのときこういうことを教わったな」と思い出してもらえるような指導ができたらと思っています。
だからこそ、あえて自分が一度挫折を経験した中学生年代の指導にチャレンジしてみたい。そこでもう一度、自分自身も成長したいと考えています。
ー高校時代に「自分で考えるようになって楽しくなった」とのことですが、それには指導者の影響もあったのでしょうか?
はい、指導者の方の影響はすごく大きかったです。私の考えが正しいかどうか分からない場面でも、指導者の方は何も言わずに待っていてくださいました。自分自身で答えを見つけられるような環境を整えてくださっていたんです。そのおかげで、自分で考えてプレーする楽しさを知ることができましたし、そうした指導に今でもとても感謝しています。
ー高校時代の経験を経て、その後のバレーとの向き合い方について変化はありましたか?
まず、「自分がどうしたいか」「どうありたいか」というのを一番に考えるようになりました。なりたい自分や目標に向かって、どう努力していくか。その過程をすごく大切にするようになったと思います。
本当は、2021年の東京オリンピックに出場することが自分の中で最大のゴールでした。でも、実際にはそれが叶わず引退を考えるようになったのですが、その時も「結果は残念だったけど、そこまでの過程には後悔はない、自分はやりきった」と思えたんです。
そうやって結果だけにとらわれずに、自分としっかり向き合えるようになったのは、高校時代からの考え方の変化があったからこそだと感じています。

写真提供:株式会社姫路ヴィクトリーナ
ーその後、大学でもバレーを続けることは決めていたのでしょうか?
高校生のときは、正直バレー選手になるなんて全く思っていなくて、大学でもバレーを続けるつもりはなかったんです。でも、自分が高校生のときに東京オリンピックが開催されることが決まって、「世界と戦ってみたい」と思うようになり、そこから大学進学の選択も加わりました。
オリンピック出場という目標がはっきりしてからは、「結果を出さなきゃ」という気持ちがどんどん強くなっていて、自分自身を苦しめてしまっていた部分もあったと思います。自分より上手い選手がたくさんいる中で、勝負の世界に入っていくと、やっぱり人と比べてしまったり、自信をなくしたり……そういう苦しさも多く経験しました。
「言葉ひとつで、選手の行動やマインドは大きく変わる」
ーそのような苦しい経験も、これからの指導に活かしていけそうですね。あらためて監督として、具体的にどんな指導をしていきたいと考えていますか?
まずひとつは、「自分と周りの人を大切にできる人になってほしい」ということです。
今の時代は情報が多く、嫌でもいろいろなものが目に入ってきますよね。親御さんや周囲からの期待やプレッシャーだけでなく、インターネット上の誹謗中傷など、どうしても日本人は他人の目を気にしがちだと思うんです。私もそうでした。
だからこそ、自分の良いところをしっかり認めて、自分の芯を中学生のうちから少しずつでも持っておいてほしいなと思っています。
それともうひとつは、先ほどもお話した「過程を大切にできる選手」「自分で考えて決断できる選手」になってほしいということです。もちろん、戦術的な知識やプレーの型など、基本的な情報はしっかり伝えます。でも、最終的にどうプレーするか、どう判断するかは自分で決められるようになってほしい。それが自立した選手への第一歩だと思うんです。
ーお話の中にあったフランスでの経験についてですが、人間的な成長という観点でどのような影響がありましたか?
フランスでは年下の選手が多かったのですが、年齢差をあまり感じなかったんです。それくらい、みんな自立していて、自尊心を持っている選手が多いなと感じました。
試合で負けると、どうしてもチーム内がネガティブになりがちだったり、誰かに矢印が向いてしまうこともありますよね。もちろん全くないわけではなかったですけど、でも「ここは良かったよね」とか「次はこうしていこう」っていう前向きな会話が自然と出てきたり、最年少の子が「もうマイナスな話やめよう」って切り替えてくれたりするんです。
仲間の良さを自然と褒め合う文化が、すごく印象的でした。チームの成績は正直そこまで良くなかったのですが、人として学ぶことがとても多かったですね。そういう部分は、日本人には少し足りないのかもしれないと感じました。
ーそうした行動や考え方は、文化的な側面だけでなく、子どもの頃に受けた指導の影響もあるのでしょうか?
そうですね。自分自身を理解していることが大きいのかなと思います。フランスの選手たちは、自分のことが「好き」というよりも、「よく分かっている」印象です。
たとえば試合に負けたり、スタメンから外れたりしても、「自分にはこういう強みがあるから、ここはしっかりやっていこう」とか、「今はこういう役割だから、そこを頑張ろう」というように、自分が置かれている状況を前向きに捉えているんです。
そうやって自分を客観的に見られるからこそ、他人のことも正しく評価できるのかもしれないと思いました。
ー指導スタイルについても、海外と日本では違いを感じるところはありましたか?
ありましたね。試合中に関しては、感情が爆発するようなコーチングもあって、「このまま倒れるんじゃないか」ってくらい激しく叱られることもありました(笑)
でも、試合が終わってみると、「今はこういう時期だから、ここは我慢しよう」「この部分は良かったから継続しよう」といった、マインドセットに重きを置いた冷静なコーチングが多かったです。
ヴィクトリーナ姫路のアヴィタル・セリンジャー監督もそうなのですが、試合後の切り替えの早さや、選手の気持ちを整理させるのが本当にうまいと思います。
監督がよく言っていたのが、「勝つか、学ぶか」という言葉。「負ける」ではなくて「学ぶ」という視点にすることで、「たとえ負けても、そこから何を学んで次に活かすか」という考え方が徹底されていました。
言葉ひとつで、選手の行動やマインドは大きく変わる。そういう意味でも、すごく勉強になった1年でした。

写真提供:株式会社姫路ヴィクトリーナ
五輪代表落選、チームの不調を乗り越えたメンタルトレーニングの効果
ー井上さんご自身が、そういうマインドセットの大切さに気づき、自分で考えられるようになったのは、どのタイミングだったんですか?
フランスに行ったときもそうなんですけど、やっぱり大きかったのは、東京オリンピックに行けなかったことですね。最後は「オリンピックには行けなかったけど、所属チームで優勝して引退しよう」と腹を括っていたのですが、そのシーズン、久光(当時の所属チーム)はずっと成績的に苦しんでいて……。
当時は「後悔はない」と言いつつも、人と比べてしまってどんどん自分が嫌いになっていた時期でした。そんな時に、「もう最後だし、自分にできることは全部やろう」と思って、メンタルトレーニングを始めたんです。
メンタルトレーニングを積んでいくことで、少しずつ考え方が変わっていきました。たとえば「無理」「できない」といった言葉を使わないようにしたり、毎日ノートに自分の良かったところを一つ必ず書いたり。そういったことを積み重ねていくうちに、「こんな自分でも良いんだ」と思えるようになってきたんです。
それからは、試合に負けても、自分がスタメンから外されても、「でも今日はケガしなかったから良し!」みたいに、少し角度を変えて前向きにバレーボールに向き合えるようになりました。そこからは、何があっても動じなくなったような気がします。
ー今お話いただいたことが、日本の女子アスリートが悩みやすい部分なのかなとも思いました。そういった考え方をうまく取り入れられたらいいですよね。
ただ、悔しいなどの感情って、実はすごく大きなエネルギーにもなると思うんです。だから、そういう感情も必要だと思っています。それこそ「勝つか、学ぶか」という言葉もそうですけど、使う言葉を少し変えるだけで行動も気持ちも変わっていくと思うので、そのバランスが大事なのかなと感じています。
「自分で考えて行動する力」を育むための伝え方
ーこれから中学生に指導していく中で、どのような「伝え方」を意識していきたいですか?
まずは「最初から全部を教えすぎないこと」を大事にしたいと思っています。最初からあれこれ教えすぎると、子どもたちが自分で考えなくなってしまうので、ある程度は自由にやってもらって、うまくいかなかったときに、少しずつヒントを出すような伝え方ができたらなと思います。
ーいろいろな現場を見てきた中で、今のバレー界全体における指導の面で「こうなってほしい」と思うことはありますか?
「自分で考えて行動できる力」を育てる指導がもっとあってもいいのかな、というのが私の考えです。
まず、日本のバレー環境って本当に恵まれているなと、海外に行って改めて痛感しました。日本では、バレーに集中できる環境がすごく整えられていて、それが当たり前のように感じてしまう部分もあると思うんですが、本当はとてもありがたいことなんですよね。
だからこそ、その環境にまず感謝すること。そして、もしそうじゃなくなったときでも、自分の力で生きていけるような思考を持てることが大切だと思っています。
今は、指導の仕方も昔に比べればかなり変わってきたと思います。昔は“結果がすべて”みたいなところがあって、強豪校ではひたすら練習漬けで「こうしろ」「ああしろ」と厳しく言われる文化でした。
たしかに練習量を増やすことで技術は向上しますし、日本の技術は世界でもトップレベルなので、その良さもあります。ただ一方で、選手自身に考えさせる、というアプローチはまだまだ足りないと感じることもあります。
私自身も、「こうしたらいいやん」ってパッと思いついたことをつい言ってしまうことがあって、でもそれが子どもたちにとっては“答えを与えられる”ことになってしまうんですよね。なので、自分が我慢できるかどうか、待てるかどうかというのは、すごく大事だと思っています。私もまだ指導者としては1年生なので、選手たちと一緒に成長していきたいですね。
ー指導者が何気なく言ったことを、選手は意外とずっと覚えていたりしますよね。中学生は特に言葉が心に刺さる時期でもあると思います。
今までは自分だけの人生でしたが、これからは関わる選手の人生が懸かっているので、その可能性を広げてあげられるような指導者になりたいなと思っています。
ー『WiTh A(ウィズエー) ~with Arisa~』というチームの理念は、皆さんで話し合って決めたんですか?
いえ、「考えてください」と言われました(笑)
大前提として「世界で活躍できる選手になってほしい」という想いがあり、そこに自分がこれまで感じてきたこと、次の世代にこれは必要だなと思ったことを全部詰め込んだ形になっています。
何より「私を超える選手を1人でも多く育てたい」という気持ちが強いですね。私はオリンピックに出場はしましたが、メダルを取ったわけでもスタメンで活躍したわけでもないので、もっと上を目指せる選手を育てたいです。
技術的な指導に関しては素晴らしい指導者が他にもたくさんいらっしゃると思うので、私はマインドの部分、経験を通して感じてきた心の強さに力を入れてサポートしていきたいです。
バレーボールは、知らなかった考え方や感情を引き出してくれる存在
ー選手を引退した後も、そこで培った力が生きてくるのかなと思いますし、人間的な成長と競技力の向上は表裏一体という印象もあります。
一般の社会人ではなかなか経験できないようなことも、バレーを通してたくさん経験させてもらいました。そのおかげで、どんな場面でも動じない精神力が身についたのは、バレーをやっていたからこそだと感じています。
ー選手であれば誰しも、苦しい時や落ち込む瞬間があると思います。そういった時にどう切り替えるのか、どう向き合っていくのか、井上さんが意識していたことはありますか?
まず「なぜそうなったのか」という原因をきちんと考えることが大切だと思っています。
調子の悪かった試合を見返さないという選手もいますが、私は向き合わなければ次の結果にはつながらないと考えていました。何がダメだったのか、そしてそれをどう改善していくのか。そこをしっかり掘り下げて、何度もトライを重ねないと、成長にはつながらないと思います。
私自身、最後の1点を決めきる力が長年の課題だったのですが、それも選手として10年近くプレーをして、ようやく見えてきたんです。
うまくいかないのは誰にでもあること。でも、その時にどう向き合うかが本当に大事。方法は人それぞれ違うし、誰かのやり方が自分に合うとは限らない。だからこそ、自分で考えて、それでも分からなくなったら周りに頼る。それもまた、強さのひとつだと思っています。
自分としっかり向き合いながら、必要に応じて人の力も借りて進んでいける、そんな人間でありたいと感じています。
ーまさに「自分で考える」ことの延長にある姿ですね。引退されたばかりですが「自分としっかり向き合ってきてよかったな」と実感した瞬間はありますか?
目標を立てて、それに向かって努力するというのは、バレーに限らずとても大事なことだと実感しています。たとえば日常生活でも、「今日はこの料理を作ろう」とか「この時間までに寝るにはどうしよう」といった小さなことでも、同じ思考が役立ちます。
あとは物事の捉え方が変わったと感じたこともありました。フランスにいたとき、最初は電車に乗ることすらできなかった。そういう中で「今日は電車に1人で乗れるようになった」という小さな達成感は、日本にいたらなかなか味わえないですよね。
今までは何気なくできていたことが成長として感じられて、子ども心に返ったような感覚もありました。もちろんうまくいかないことや大変なこともたくさんありましたが、それも含めて「本当に良かった」と思える経験でした。それもすべて、バレーボールがあったからこそだと思っています。

写真提供:株式会社姫路ヴィクトリーナ
ー最近は海外にチャレンジする選手も多いですよね。
やっぱり日本にいると、いろんな人に守られて、欲しいものはすぐ手に入る、本当に恵まれた環境なんです。でも、そういう環境を一度手放して、自分の足で立たなきゃいけない状況になると、「自分って、これもできないんだ」「こんなことも知らなかったんだ」と気づくことがたくさんあります。
それは大人になってからこその大切な経験だと思いますし、私自身もすごく視野が広がりました。「自分の力で生きていく」という感覚は、何か大きな決断をするときにすごく役立つと思います。
ーバレー以外の人生の決断にも、きっと活きてきますね。では、これからU15チームとしていよいよ本格的に動いていく今の思いを教えてください。
今回、ヴィクトリーナ姫路U15の指導に携わることになり、未来ある子どもたちと関われるのが本当に嬉しいです。これまでの経験を、余すことなく次世代に伝えていきたいですし、世界で活躍できるトッププレイヤーを育てるために、私自身も全力で取り組んでいきたいと思っています。
ー最後に、井上さんにとって、あらためてバレーボールとはどんな存在ですか?
バレーボールは、私自身が知らなかった考え方や感情を引き出してくれる存在です。バレーと出会ったからこそ、今の私がある。本当に多くの方に応援していただいて、タイミングにも恵まれて、私は運が良かったなと感じています。