「最初の一歩を踏み出す勇気を」体操・杉原愛子が語る、挑戦し続ける勇気と「自分の花」を咲かせる力

今年10月に行われた世界体操競技選手権の種目別ゆかで金メダル、平均台で銅メダルを獲得した、杉原愛子(すぎはら・あいこ)選手。度重なる怪我や燃え尽き症候群に悩まされ、一度は競技から離れた彼女が、復帰後もなお急成長を遂げています。さらに、現在は株式会社TRyASの代表として、選手が長く競技を続けられる環境作りに取り組んでいます。
一時体操から離れたことで得た気づきや課題、そして競技への愛情や今後の体操界への展望について伺いました。
目次
悔しさを力に変えて。6年ぶりの世界選手権で感じた手応えと成長
ー世界選手権から約1か月が経ちました。改めて、終わってみていかがでしたか。
6年ぶりの世界選手権、そして8年ぶりの個人総合への出場でした。大好きな体操を心から楽しみながら演技に臨み、結果として個人総合の予選は2位通過を果たすことができました。
決勝ではメダル獲得を目標にしていましたが、段違い平行棒で落下してしまい、可能性があっただけに、とても悔しかったです。それでもその日のうちにコーチと原因を振り返り、続く種目別に向けてしっかりと解決につなげることができました。
種目別決勝の平均台では、点数的にも予選の順位的にもメダル獲得は難しいと感じていましたが、逆に実際の演技では自然とゾーンに入り、緊張よりも「楽しい」という気持ちが大きかったです。その瞬間の感覚は今でも鮮明に覚えています。
ーコーチと話し合った結果、具体的な原因はどこにあったのでしょうか。
原因の7割が技術面、3割がメンタル面にありました。というのも、練習では安定してできていたからこそ、本番での「今日はなんだかおかしい」という違和感が引き金となって不安が生まれ、それがミスにつながったのだと分かりました。
ー短時間で立て直せたのは、やはり長く競技を続けられてきた経験が生きているのでしょうか。
そうですね。昨年のパリ五輪選考では段違い平行棒で初日に落下してしまい、その不安を抱えたまま2日目の演技に臨んだものの、再び落下してしまったことが反省としてありました。今回は落下した種目がその後に残っていなかったという状況の違いもありますが、それ以上に「昨年の反省をしっかり生かせた」という手応えが大きいです。
実際、平均台決勝では自分の中では「これ以上のパフォーマンスはもうできないな」と思えるほどの完璧な演技ができたので、その結果として銅メダルを獲得できたのは本当に嬉しかったです。もう一種目のゆかでも気を抜かず、しっかりと切り替えて臨むことができました。
ー「もうこれ以上できない」という言葉通り、まさに楽しさが表情や演技に表れていたように思います。そのあたり、ご自身ではいかがですか。
「0.1を大事にする」練習を積み重ねてきたことが形となり、それが金メダルという結果につながりました。
ただ、このメダルは自分だけの力ではなく、たくさんの応援や支えがあったからこそ届いたものだと強く感じています。
家族が現地まで応援に来てくれたり、日本の旗を振ってくださるファンの方もたくさんいて、その存在が本当に力になりました。大野先生や村上本部長をはじめ、最後まで支えて下さった方々のおかげでこの舞台に立てている。その感謝を胸に「全力で楽しんで、納得のいく演技をしよう」と心に決めて臨みました。

東京五輪後に抱えた葛藤と新たな挑戦。「楽しさ」を取り戻せたワケ
ー2020年の東京オリンピック後には一度活動を休止されましたが、当時はどのような心境だったのでしょうか。
正直、東京オリンピックに人生を懸けていたので、終わったあとは燃え尽き症候群になってしまい、体操を心から楽しめなくなっていました。なおかつコンディションも思うように整わず、精神的にも身体的にもとても苦しかったです。とはいえ、エキシビションや演技会など体操を続ける機会もあったので、「引退」ではなく、あえて「一区切り」という表現を使いました。
その一方で、コーチや審判、リポーターといった新しい仕事に興味が湧き始めたのもこの時期でした。ちょうど大学卒業のタイミングでもあり、セカンドキャリアを考えたときに、「いろんなことに挑戦したい」という思いが強くなっていったんです。もともと大学時代には学生コーチを経験していましたし、指導者の道も考えつつ、その延長で審判の勉強にも取り組んでいました。
ーその後1年ぶりに復帰をされましたが、どのような気持ちの変化があったのでしょうか。
大きかったのは、全日本でリポーターとして、外から選手たちの演技を見たことです。「みんな本当に楽しそうで、キラキラしているな」と感動しました。そこで改めて自分はやっぱり体操が大好きなんだと気づき、「体操を野球やサッカーのようなメジャースポーツにしたい」という思いがどんどん強くなっていったんです。
また、当時中学生を指導していたことも影響しています。技術を言葉にして伝えるには、自分の中で感覚を整理する必要があり、その過程で体操に対する理解がより深まりました。
週1回ほどエキシビションに向けた練習もしていたのですが、「もしかしたら東京五輪の時よりも、今の方が基礎の質が高いのでは?」と感じたこと。それが、復帰を考えるきっかけになりました。
さらに、その年の全日本種目別はビデオ審査でエントリーできたことも幸運でした。最後まで出場を悩んでいた私に、母が「やってみたら?」と背中を押してくれたことも、決断の大きな理由です。
ーとはいえ、復帰にあたって不安や葛藤はなかったのでしょうか。
東京五輪の頃は、完璧主義な部分が良い意味で自分のプライドになっていた反面、順位や結果を気にしすぎるところがありました。でも一度競技から離れたことで、自分は体操が好きで始めたのに、いつの間にかプレッシャーをかけすぎてしまっていたと気づけたんです。一区切りをつけたからこそ、体操の楽しさを再確認できましたし、指導者の経験から基礎や休むことの大切さも学べました。
もちろん復帰にあたっては、「オリンピックに2回出ている人」として見られるプレッシャーも少なからずありました。でも、周りの目を気にしない方が自分の心が軽くなるなと。そう気づけたからこそ、復帰後は「楽しむこと」だけに集中して演技できています。

ー今年のNHK杯では10年ぶりの優勝を手にされましたが、そこでも心境の変化があったのでしょうか。
去年のパリ五輪の代表選考では「楽しもう」と思いながらも、どこかで「代表になりたい」という欲が出てしまい、順位を意識しすぎていました。その邪念やプレッシャーが、あのミスにつながっていたんだと思います。
そんな自分を変えるきっかけになったのが、今年のNHK杯の前にスポンサーの社長さんから頂いた言葉でした。「頑張らなくていい。楽しむだけでいいんだよ」と声をかけてくださって、その一言で心がふっと軽くなったんです。実はその社長さん自身もアスリートだった方で、もしかしたら私の苦しさが分かったのかもしれません。とにかく、その言葉がすごく響きましたね。
練習は「量より質」。怪我を経て辿り着いた、心身のベストバランス
ー東京オリンピックの同年に左膝を手術されましたが、以前から怪我には悩まされていたのでしょうか。
もともと側弯症があり、靭帯を損傷することも多かったため、ずっと怪我と向き合いながら競技を続けていました。東京五輪までは毎年のように大きい怪我をして、練習ができない時期もあったほどです。ただ、五輪後に休息を取ったことで体がリセットされたのか、復帰後は2ヶ月以上練習ができないというような大きな怪我はなくなりました。
あとは練習量を見直しました。週6だった練習を週5にして、週末は休養にあてています。やっぱり「量より質」ですね。年齢とともに回復も遅くなるので、無理に追い込むよりも、練習の中身を濃くすることを第一に考えています。
そして今は、コンディションを上げたい時は基礎練習に戻り、そこで質を高めるようにしています。東京五輪の時は実践練習を優先しがちでしたが、基礎に立ち返った方が結果的に状態が良くなるという実感があるので、今はそのバランスを意識しています。
ー怪我を防ぐための工夫もされてきたと思いますが、女性アスリート特有の体調変化についてはどのように向き合っていますか?
正直、東京五輪の頃は生理痛がひどい時でも無理をしていました。私は性格上、できるようになるまで練習をやめられないタイプなのですが、当時はそれが裏目に出て、怪我につながってしまったんです。今振り返ると、コンディションが悪いのに無理に動いて、無駄の多い練習をしていたなと思います。
でも今は、そうしたコンディションの変化もきちんと受け入れられるようになりました。たとえ調子が60%の状態でも「これが今日の100%だ」と捉えて、その中でベストを尽くす。そうした調整の仕方を身につけたことで、無理なく自分の身体と付き合えるようになりました。
ー年齢を重ねる中で、疲労の取り方やリフレッシュ方法に変化はありましたか。
大きく変えたことはありませんが、湯船には必ず浸かるようにしています。あとは自分ではストレスを感じていないつもりでも、体にサインが出やすいタイプなので、そうなったら外出して気分転換をしたり、お風呂で大声で歌ったりして発散しています。
また、今はアスリートだけでなく、社長としての仕事もあるので、オフシーズンでも練習と仕事を両立しながら過ごしています。でも、そのバランスが良い方向に働いていて、仕事が良い意味で息抜きになったり、逆に仕事が立て込んでいる時は練習がリフレッシュになったりと、うまく切り替えができているなと感じます。
体操をもっとメジャーに。選択肢を広げた「Aitard」誕生の裏側
ー現在は株式会社TRyASの代表としても活動されていますが、 会社を設立したきっかけを教えてください。
一度体操から離れたことで、改めて「体操が大好きで、本当に楽しい競技なんだ」と強く実感しました。だからこそ、この楽しさをもっと広めて、体操をメジャースポーツにしたいという思いが生まれたんです。
そんな時、偶然エンタメ関係の方と出会う機会がありました。そこで自分の思いを伝えたところ「一緒に会社を作ろう」と意気投合し、競技の普及活動からスタートしました。
ー「Aitard」開発当時で、特に印象に残っている出来事はありますか。
会社を設立し初めて、「レオタードを着たくない子供がいる」「親御さんが着させたくないと思っている」という事実を知ったことです。体操界ではあまり耳にしない意見でしたし、レオタードに憧れて体操を始める子もいるので、とても驚きました。
ですが冷静に振り返ると、私自身も練習ではショート丈のスパッツを履いていましたし、思春期には「下着が見えていないかな」とか、生理の時には「ナプキンが出ていないかな」と気になって、試合に集中しづらい時もありました。もちろんレオタードは好きですが、もっとウェアの選択肢が増えれば、体操の普及にも繋がるのではないかと思ったんです。
その思いから生まれたのが、日本初のスパッツ型レオタード「Aitard」です。実際に「これなら安心して着られる」「Aitardを着て大会に出ました」といった声もいただいて、必要としている人にちゃんと届けられて嬉しかったです。
ーウェアの悩みというのは、私たちが想像する以上に、選手にとっては大きな壁になっているのですね。
そうなんです。レオタードを着たくないから試合に出たくない、という体操選手は実は少なくありません。あるデータでは、部活で体操をしている子の約6割がレオタードを着たくないと感じているという結果が出ていて、私も衝撃を受けました。裏を返せば、選べる環境さえあれば、その子たちのモチベーションはもっと上がるはずなんです。だからこそ、Aitardという新しい選択肢を作って良かったと改めて感じています。
苦難を乗り越え挑戦し続ける原動力。最初の一歩を踏み出す勇気を
ー体操の楽しさや魅力をより多くの人に届けるために、今後挑戦してみたいことはありますか?
体操って、実はエンタメ要素がすごく多いんです。「魅せる」という点ではフィギュアスケートと共通点が多いのですが、スケートには「アイスショー」という文化があるのに対し、体操にはまだそうした場がないんです。
だからこそ、体操をメジャースポーツにするためにも、将来的には体操のショーを作っていきたいです。実際、似たジャンルのイベントに出演すると、競技とはまた違う楽しさを感じてもらえますし、「体操ってこんなに楽しいんだね!」と言っていただけることも多くて。その声を聞くたびに、「エンタメとしての体操」に可能性を感じています。
ー確かに、言われてみれば体操のショーというのは聞きませんね。
アスリート全員がオリンピックを目指せるわけではありませんし、特に女子体操は大学卒業と同時に競技を引退する選手がとても多いんです。せっかく幼い頃から磨いてきた技術が、社会人になった途端に活かす場がなくなってしまう。それは本当にもったいないことだと思うんです。
もし体操のショーがあって、そこで収入を得られる環境があれば、「選手」とは違う形で競技を続ける人がきっと増えるはずなんです。「卒業したら終わり」ではなく、その先に輝ける場所を作る。それが体操界全体の盛り上がりにもつながると思うので、絶対に実現させたいと思っています。
ー最後に、NHK杯では10年ぶりの優勝となりましたが、その際に「人それぞれ花が咲く時期が違う」とお話しされていました。長い競技人生の中で、苦難があっても挑戦し続けられる原動力は何なのでしょうか。
私は性格的に、やらずに後悔するよりも「まず挑戦してみて、そこからどう活かせるかを考える」タイプなんです。誰もやっていない未知の世界に飛び込む怖さもありますが、それ以上に「やったことがないからこそ楽しみ」というワクワク感の方が、常に勝っている気がします。
NNK杯後に話した「人それぞれ花が咲く時期が違う」という言葉は、まさに私の実体験から来ています。私自身、10年前に初優勝したあと、まさか10年後に再び優勝できるなんて思っていませんでした。
ただ、一つ言えるのは、ずっと走り続けていたらこの結果はなかったということです。無理に咲かせようとして枯らしてしまわないように、 時には立ち止まって休むことも、花を咲かせるための大切な栄養になる。それを伝えたかったんです。
人は誰しも、自分だけの素敵な「蕾」を持っています。早かろうが遅かろうが、大切に育てていれば必ずまた咲く時が来る。タイミングは人それぞれなので、焦らず自分のペースでその蕾を咲かせてほしいなと思います。

