アスリートと共に、女性が輝くまち・嬉野市へ 「会う・語り合う・繋がる」スポーツフューチャーセンター構想実現へ

2021年11月に佐賀県嬉野市は、全日本女子野球連盟と連携した『HAPPY TOGETHER PROJECT』をスタートさせました。プロジェクト発足以来、行政と市民、選手が未来のまちづくりについて語り合うワークショップの開催や、積極的な女子スポーツの合宿誘致など、スポーツを通じた女性活躍のロールモデルを発信する取り組みを行なっています。

その一環として2023年2月12日、佐賀県嬉野市でシンポジウム「アスリートが語る女性目線のまちづくり」が開催されました。

シンポジウムでは、元バレーボール日本代表の益子直美さん、元競泳日本代表の星奈津美さん、株式会社arca 代表取締役/クリエイティブ・ディレクターの辻愛沙子さん、全日本女子野球連盟代表理事の山田博子さん、嬉野市長の村上大祐さん、静岡県立大学経営情報学部准教授 国保祥子さんが登壇し、女性目線を取り入れるまちづくりについてクロストークを展開しました。

ファシリテーターは、スポーツ共創に取り組むスポーツビジネスプロデューサーの田上悦史さん。「アスリートが取り組む社会的な活動から、未来のまちに必要なことは」をテーマに、元競泳日本代表の星奈津美さんや元バレーボール日本代表の益子直美さんが自身のエピソードを紹介。アスリートの経験、スポーツの力をどのようにまちづくりへ繋げていくのか。登壇者が抱く思いをお届けします。

さらに嬉野市では、スポーツフューチャーセンターの施策を展開予定です。市民・自治体・非営利団体などが一体となり、アスリートやスポーツ組織と共に嬉野市のまちづくりに女性目線を取り入れ、実行していく起点となる施設です。スポーツフューチャーセンターを嬉野市に設置する意義や役割についてお伝えします。

バセドウ病と闘いながら五輪へ「まずは症状を知ってもらうことが大事」

田上:それでは「アスリートが取り組む社会的な活動から、未来のまちに必要なことは?」をテーマに議論を進めていきたいと思います。まずは星さん(元競泳日本代表)からお話をお願いします。

:私は高校1年生のときに、バセドウ病にかかってしまいました。当時、自分は病気のことを何も知らなかったのですが、たまたま母が甲状腺の疾患をもっていたので私の不調に気づいてくれました。16歳から26歳で引退するまで毎日薬を飲み、手術も経験しましたが、周りの支えや理解のおかげで競技を続けられたと感じています。

田上:病気を公表したことによって、いろいろな方から相談があったのではないですか?

:そうですね。病気が発覚して5年くらい経ったとき、とある密着取材をきっかけに公表したところ、「こんなにも身近に患者さんがいるんだ」と知ることができました。

それからはSNSなどで相談を受けることが増えましたね。その中にはアスリートの方も多くいて、手術のタイミングや復帰にかかる時間、トレーニングをどのようにコントロールしているのか、など具体的な質問が多かったです。

他にも、子どもが病気になってしまった親御さんから「どのようなケアをしてあげたらいいですか?」という質問をされました。お医者さんではありませんが…という前置きをしたうえで、自分の経験を伝えるようにしていました。

田上:星さんは周囲の人からどのように支えてもらっていたのでしょうか?

:ロンドン五輪からリオ五輪までの4年間で症状が悪化してしまったときは、コーチが練習が終わるたびにヒアリングをしてくれて、背中を押してくれました。

それまでは投薬治療で競技を続けられていたのですが、数値が悪くなってしまったので手術に踏み切りました。術後から指導してくれた平井コーチは、病気について勉強して、恐怖心で次のステップに進めない私の背中を押してくれました。コーチのおかげで一歩を踏み出せたので、ありがたかったです。

田上:平井コーチとは一対一で深いコミュニケーションを取っていたのですね。ご家族や病院の方とはいかがですか?

:母は知識や経験があったので、過剰に心配してはいなかったですね。私が不安を感じていたときも、母は「大丈夫でしょ」と。とあるインタビューで「親が心配すると、本人はより不安になってしまう。もちろん心配はしていたけど冷静に対応していた」と語っていました。

実際、母の言葉を受けて練習を続けた合宿直後の大会で、日本新記録を初めて出すことができたんです。ありがたかったなと思いますね。

病院の先生もスポーツに理解のある方だったので、一日でも早く復帰できるように薬の量などを調整してくださいました。理解ある対応はすごくありがたかったです。

田上:ご自身の経験からファンの方、あとは今日のシンポジウムをご覧になっている方へメッセージはありますか?

:バセドウ病が発見されづらい要因として、症状の多様性が挙げられます。風邪のような軽い症状から、生理前と同じような症状が長く続く場合もあります。まずはさまざまな症例について知ってもらうことが大事かなと思います。

5月25日は『世界甲状腺デー』なのをご存じですか?甲状腺と形が似ている「バタフライリボン」がシンボルになっていて、バタフライをメインの種目にしていた私はすごく縁を感じています。これからも発信を続けていきたいです。

子どもたちがワクワクできる「怒りが生まれない仕組みづくり」

田上:次に益子さん(元バレーボール日本代表)の活動について教えてください。

益子:私は『監督が怒ってはいけない大会』という小学生のバレーボール大会を開催しています。福岡県宗像市からはじまって、今年で9年目に入りました。全国各地で実施していて、昨年は佐賀県唐津市でも開催しています。

開会式終了後、まずは30分ほどスポーツマンシップのセミナーを行います。資格を持っているスタッフから子どもたちに「この大会でかっこいいスポーツマンになろう」と対話をしながら伝えます。

そのあとは、○×クイズやチーム対抗リレーなどのアトラクションで遊びます。いきなり「楽しんでやってね」と言っても、怒られることを怖がっている子どもたちは笑うことができません。なので、笑顔のウォーミングアップをしてから、試合をするようにします。

基本的に、試合中のミスはチャレンジとみなすようにしています。サーブやスパイクのミスに対して怒ってはいけません。それでも、つい怒ってしまう方がとても多いんです。そんなときは私からバツ印のついたマスクを渡しています。

田上:なぜ大人自身は怒っていることを認識できないのでしょうか?

益子:自分が受けてきた指導が影響していると思います。「おれの時代はもっとひどかった。今は大したことない」と。それが「自分を強くした」という成功体験になっているんです。

大会を通じて「怒らないこと=勝利を諦めること」と考える方がすごく多いと感じます。子どもたちにも「今日は怒らないから、勝敗も気にしなくていい」と。スポーツなんだから勝利を目指すべきなのに、それは違和感がありますよね。怒らなくても勝利を手に入れる方法は絶対にあるはずです。

例えば、選手がサーブミスをしたときにどんな声を掛けるか。やってほしくないことではなく、やってほしいことを伝えればいいんです。「サーブミスをするな!」ではなく、「コーナーに思いっきり打ってほしい」と。

指導者もこの大会では「怒ってはいけない」というチャレンジをしています。普段は立場を守るために、弱音を吐いてはいけないと考えている方も少なくありません。大会後には、指導者同士で悩みを共有する時間もつくっています。

田上:怒られることで子どもたちにはどのような影響があると感じますか?

益子:主体性が生まれないと思います。私自身も学生時代は「先生に怒られないこと」を考えるようになっていましたし、ミスを掘り下げて学ぶことはまったくできていなかったです。

楽しいからこそ、大変なことも乗り越えられるし、学びがあるんです。子どもたちがワクワクできる環境を整えてほしいと思っています。

田上:怒りが発生する場面は子どもに対してだけではなく、大人同士もあると思います。そんな社会で、どのような考え方が必要になってくるのでしょうか?

益子:怒りが生まれないシステムづくりが必要だと思います。現在、福岡県と山口県で小学生のリーグを立ち上げているのですが、そこでは負けても次の試合があるというシステムにしています。勝利至上主義やメンバーの固定化などの問題解決にも繋がればいいなと。

変わりつつある女子野球界。「自由」から「楽しい」が生まれる

田上:星さん、益子さんのお話を踏まえてパネラーの皆さんに感想を伺えればと思います。山田さん(全日本女子野球連盟代表理事)からお願いします。

山田:益子さんのお話を聞いて、野球界にも勝利至上主義がたしかに存在していると思いました。とくに男子野球は150年以上の歴史があるなかで、変えづらい部分があるのも事実です。高校野球では用具の色の指定など、厳しいルールがたくさんあります。

一方、女子野球はかなり自由になっていると思います。用具を自由に選べたり、装飾品もある程度は許可されているケースもあります。そこから「楽しい」という感情が生まれてくるんですよね。

元ソフトバンクホークスの川﨑宗則さんと野球教室に参加する機会があったのですが、すごく女子野球の考え方に賛同してくださいました。実は川﨑さん、野球教室ではユニフォームを着ないんです。「野球に馴染みのない子どもたちは、ユニフォームを着てあいさつをするだけで委縮してしまう」と。

なのでTシャツと短パンを着て、あとは音楽をかけたりして親しみやすい雰囲気を作られています。「どうやってボールを投げればいいですか?」と質問されたときには、「どんなスタイルでも楽しければ良い」と、股の下から投げて見せていました。

益子さんも川﨑さんも自分自身が辛い思いをしたからこそ、強く伝えたいことがあるんだと感じました。

野球界も変えていくべきところはたくさんあります。きっと野球を始めたときは楽しかったはずなのに、どこからか「雨で練習が無くなってくれ」と思うようになってしまった子どもたちも少なくありません。その原因を考えていく必要があると思います。

田上:星さんのお話についてはいかがですか?

山田:我慢できてしまうからこそ、気づいたら大変なことになってしまうことはありますよね。指導者が気づけるように情報を共有できる場所が必要だと感じました。

「これならスポーツをやりたいかも」という気持ちにさせられた

田上:国保さん(静岡県立大学経営情報学部准教授)は育児と仕事の両立もされていらっしゃいますし、女性活躍や働き方についても研究しておられますよね。ここまでお三方のお話聞いてどのように感じましたか?

国保:私はスポーツがすごく苦手で、体育も嫌いでした。まさに負けることは良くないという前提があったからです。ただ、皆さんは「人の弱さ」を前提とした活動をされていて、「これならスポーツをやりたいかも」という気持ちにさせられました。

人材育成や組織、地域のあり方に繋げていくとするならば、弱い人でも参加できる社会にしていく必要があると思います。どんな状況に置かれた人の思いも丁寧に汲み取れる意思決定の構造が必要な時代なんだろうなと。

田上:弱い人たちを受け入れることで、強みへと変えていくこともできますよね。未来のまちづくりには、どのような仕組みが必要なのでしょうか?

国保:「個人の責任」にしてしまうと上手くいきません。問題の原因は何かをきちんと見つめることができれば、すべての人が生きやすいまちづくりに繋がると思います。

「アスリートの姿は、ビジネスパーソンも参考にすべき」

田上:辻さん(株式会社arca 代表取締役社長/クリエイティブ・ディレクター)は、いかがでしょうか?

:父がスポーツドクターだったので、小さいときからスポーツを観る機会がありましたし、素晴らしさも知っています。私自身もチアダンスをやっていたのですが、運動が苦手で、チームメイトに迷惑をかけてしまうことに申し訳なさがありました。エンターテインメントのスポーツと、評価される体育という文化が存在しているのかなと。

「弱さ」という言葉がありましたが、そもそも「弱さ」とは何だろうと考えながらお話を聞いていました。最近、ビジネス領域でも注目されているキーワードです。例えば、女性は身体のサイクルとして生理がありますよね。必ず全員にやってくる体調の変化が、果たしてそれは「弱さ」なのだろうかと。

生理による心身の不調を「弱さ」と捉えられてしまったり、タブーとしてメディアで取り上げられないことも少なくありませんでした。ただ、時代は変わってきています。

誰にも起こり得ることに、どう向き合っていくのかを考えることが大切です。組織では、指導者や上司、親御さんなどリーダーとなる人が率先して知識をつけて、自らの「弱さ」を開示していくことも大切だと思います。

まちづくりの視点でも、特定の人を特別扱いして区別するのではなく、そのグラデーションを社会がどう受け入れていくのかをあらためて問われていると思います。

田上:辻さんはクリエイティブプロデューサーとして社会の課題と向き合っておられますが、アスリートの社会的な活動に対してはどのような意義があると感じますか?

:普通に生活していたら、分刻みでトレーニングをして、自分の身体を1%単位でコントロールすることはありませんよね。アスリートの方の身体やメンタルとの向き合い方は、ビジネスパーソンも参考にするべきだと思います。

病気や怪我を乗り越えて五輪に出場した経験や、かつて受けた教育の問題点を若い世代に伝えるなど、強く見えるアスリートが自ら「弱さ」を開示することで、勇気づけられる方はたくさんいるのではないでしょうか。スポーツという共通言語によって、幅広い人にメッセージを届けられると思います。

現状を変えていくために「感動」や「経験」が必要

田上:最後に、村上市長は皆さんの話を聞いてどのように感じましたか?

村上:スポーツには人を前に進める力があると、あらためて感じることができました。
星さんのバセドウ病のお話は知らないことがたくさんありました。こういった難病を乗り越えて結果を出したアスリートのエピソードは感動しますし、実際に病気を経験した方にしかできない発信の仕方かなと思います。

益子さんの活動についても、怒ってはいけないと頭では分かっていても抑えることが難しい部分がこれまではあったと思います。行政の力だけではなく、スポーツの力を借りて理解を進めていきたいですね。あらためてアスリートの皆さんの発信力には期待をしたいと思います。

現状を変えていくためには「感動」や「経験」が必要です。皆さんの発信によって追体験できるというのは、スポーツの持つ力の一つだなとあらためて感じました。

「会う、語り合う、繋がる」まちづくりを。スポーツフューチャーセンター構想とは?

村上:嬉野市はスポーツ施設が非常に充実しており、女子バレーの久光スプリングスや女子野球の日本代表やオランダ代表など、国内外のスポーツチームに合宿場所として利用していただいています。ジュニア世代ではなぎなたやソフトテニスが盛んな地域なんです。

以前、女子野球選手を交えたワークショップを開催しました。そこでは、スタジアムに女子トイレが無いなどの課題が見つかったんです。そこから偏った視点になってしまっている仕組みや環境が多いことに気づき、「女性目線や多様性に対応したまちづくりをどのように進めていくか?」が今後のテーマになりましたね。さまざまな方をきちんと視界に入れたサービスを展開できるようにしたいなと。スポーツをフックに、さまざまな角度からまちづくりについて考えることができました。

田上:女子野球を通じて得た気づきを少し広く置き換えてみると、「女子野球」を「スポーツ」、「スタジアムのトイレ」を「まちづくり」と捉えることができます。スポーツをきっかけに嬉野市の現状や課題を明確にし、まちづくりに活かしていけるのではないかと考えています。

田上:この考え方を実行に移し、スポーツのまちづくりをより前進させるために、現在「スポーツフューチャーセンター」の開設を予定しています。アスリートやスポーツ組織と共に、嬉野市のまちづくりをテーマとしたプログラムやイベントを展開する予定です。

フューチャーセンターとは、「多種多様な人々が集まり、未来について話す場」です。特定のテーマに対して問題意識や課題を抱える誰もが中心となってセッションを企画し、アイデアを出しあったり改善策を模索したりすることができます。中心となるのは、どんな立場の方でも構いません。セッションを通じて、未来に活きる関係性を作っていきます。

フューチャーセンターの機能には「会う、語り合う、繋がる」の3つがあります。普段出会わないような異業種の方々が交流したり、専門家の方々ともお会いできたりします。さまざまな立場の方が集い、特定のテーマに対して意見を語り合い、情報交換をする場所になります。自治体や企業がお互いの取り組みについて紹介し、役割を確認しあうこともできますよね。起点となる場所があることで、共に取り組む仲間ができていきます。フューチャーセンターを通じて地域内で連携して、嬉野市をより良くするために協力できるようになると思っています。

田上:嬉野市では、このフューチャーセンターを「スポーツ」を軸として展開します。アスリートやスポーツ組織、スポーツに関連する企業や専門家の方々が集い、スポーツの視点から嬉野市でのまちづくりについて議論していきます。そこで生まれたアイデアや繋がりを活かし実際のまちの機能や仕組みに落とし込んでいこうと。

また、アスリートやスポーツ組織と共にまちづくりを進めていくことで、発信力がついてきます。嬉野市での取り組みを、広く知っていただくためには不可欠な要素です。
村上市長や山田さんもおっしゃっていた通り、嬉野市はスポーツをする環境が非常に整っている地域です。そういった独自の地域性と、スポーツが社会に対して持つ影響力、そしてそこから広がる可能性を考えた時、スポーツなしに嬉野市のまちづくりを広げていくことはできないな、と。嬉野市だからできる取り組みであり、まちづくりの方向性だと考えています。

田上:スポーツフューチャーセンターの具体的な活動イメージについてご説明します。スポーツフューチャーセンターを通じて課題やアイデアをもとに企画し、今回のシンポジウムのようにスポーツの力で人や注目を集めていきます。そしてお互いに意見を出し合ったり情報を共有したりして、実際にまちづくりに落とし込むために必要な体制や具体的なアクションを決めます。さらに嬉野市内で活動をとどめず、スポーツが持つ影響力を活かして外に発信していく、というのが全体的な流れです。

未来に目を向ける、きっかけを作る

田上:国保先生もフューチャーセンターの運営に関わられていますよね。フューチャーセンターの意義と役割、そして嬉野市ではスポーツに特化して展開するということについてどのように感じられていますか?

国保:2011年の東日本大震災を機に、研究室のゼミ生とともにフューチャーセンターを立ち上げました。当時、日本全体が落ち込んでいたときに、学生らの未来をつくる力や、未来を見通す力に希望をもらったことが原点になっています。嬉野市でも未来を見据えているところが、ポイントだと感じています。

目の前の問題が多すぎて、未来に目を向けられなくなってしまう場面も多いと思います。それでも、「自分たちがどのような未来をつくっていきたいのか」を考えることが重要なのかなと。

当事者意識を持って、嬉野市がどのようなまちであれば、子育てがしたいと思うか、住み続けたいと思うか。そこにどうスポーツの力を使うべきかを模索するのが、「嬉野市スポーツフューチャーセンター」の役割だと感じています。スポーツをひとつのキーワードとして、さまざまな視点からまちづくりを推進していくものですね。

益子:アスリートの活動に置き換えても、同じことが言えると思います。バレーボール界だけで考えていても、前に進めません。他競技の皆さんとも活動しながら、新しい風をどんどん取り入れていきたいです。

:私もバセドウ病について知っていただくための活動において、さまざまな方と話し合いながら協働していきたいとあらためて感じました。全く分野の異なる方も巻き込みながら活動を大きくしていきたいです。

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