世界王者に三度輝いたインラインスケーター東千尋が語る「競技を広めるために必要なこと」
インラインスケーターの東千尋(あずま・ちひろ)さんは、数ある種目のひとつであるアグレッシブインラインスケート(※)で世界1位を3度獲得し、日本スポーツ賞も2度受賞されたこの競技の第一人者です。
まだまだマイナー競技ではありますが、スケートボードやBMXのようなトリック、アクロバティックな動きをひとたび見れば、虜になる人が続出するほどのパワーや面白さを秘めています。
そんなアグレッシブインラインスケートについて、東さんがハマる理由や魅力、いま抱えるマイナー競技問題への思い、女性アスリートが抱える悩みなどをお話しいただきました。
※4輪のウィール(タイヤ)が車のように4輪付いているローラースケートとは異なり、一直線に付いているスケート
この投稿をInstagramで見る
常に付きまとう“痛みや怖さ”を大きく上回るもの
―インラインスケートとの出会いを教えてください。
幼い頃に映画で子供がスケートを滑っているシーンを見て、「楽しそう、やってみたい」と思ったのが始まりです。そして5歳になった頃、スポーツ用品店に自転車用のヘルメットを買いに行ったとき、子供用のインラインスケートと、プロテクターやヘルメットが全部一式になったものを見つけて、買ってもらったのがきっかけですね。親の話によると、私が何かに興味を持ってやってみたいと言ったのはこのときが初めてだったそうです。
その日からどんどんインラインスケートに熱中していき、その姿を見た両親が岡山市内にあった、当時アジア最大級のスケートパーク「アクションスポーツパーク岡山(通称:ASPO、現在は閉鎖)」に連れて行ってくれました。そこで大きな衝撃を受けたんです。
世界チャンピオンの方が練習をしていて、その人の滑りに釘付けになりました。飛んだり、回ったりするアグレッシブインラインスケートを間近で見て、さらにハマりましたね。両親に毎週のように連れて行ってもらい、ハイレベルなお姉さん、お兄さんたちから基礎を学びました。
最初は“楽しい遊び”という感覚でしたが、大会の存在を知り、専用のスケートに買い替えて、競技として取り組むようになりました。そして気づいたら22年経っていましたね。
―当時、そこまでハマるほどの魅力というものは何だったと思いますか?
非日常的ですごく新鮮だったのだと思います。例えば、滑るというのは走るとは違う感覚で、上手に滑れるとかなりの達成感を味わえます。飛んだ時の浮遊感は、地面から自分の脚力で跳ぶだけでは得られない快感がありますね。
もちろん痛みや怖さは常に付きまとっていますし、失敗した時はめちゃくちゃ痛いです。でもそれ以上に、気持ち良さや嬉しさ、楽しさといったポジティブな感情が勝り、のめり込んでいきました。
一生忘れない。「心が折れた1年間」
―とはいえ、常にプラスのマインドではいられないですよね。
骨折や靭帯断裂など、大きな怪我をした時はやっぱり心が折れかけていましたね。競技生活が長いので何度か経験していますが、同世代のライバルがいた小中学生の頃は特に焦っていました。怪我で練習できない1、2か月がすごく長く感じて、前に進めないどころか、後退してしまうのではないかという不安が大きかったです。
スキルが上がりやすい、伸びやすい時期でもあるので、余計に我慢できずに肋骨が3本折れていても大会に出場したこともあります。もう無茶苦茶なんですけど(笑)、怪我をしていてもできることを探して、競技を続けてなんとかメンタルを保ってきました。
ただ、「本当にもうダメかも」と思ったことが1度あります。それはASPOが閉鎖されてしまった時です。そもそも岡山市にそんなに大きな施設があること自体奇跡的でしたが、それがなくなった瞬間から練習する場所もなくなったので、さすがに落ち込みました。
当時中3だったのですが、閉鎖を機にスケートを辞めて、受験勉強に専念する子も出てきました。滑れる場がなくなり、仲間も離れていくという現実がすごく辛かったですね。
それでも、何とか他県のパークで練習を続けましたが練習量が全然足りず…。無謀にも海外の大会に出場したものの、優勝できるほど現実は甘くありませんでした。両親をはじめ、師匠や先輩たちが私を練習できる場所に引っ張り出してくれたのが唯一の心の支えでしたね。そのおかげでなんとか、中学最後の1年を繋げられたという感じです。
ー練習ができないと、モチベーションを保つことが難しいですね。
今までは、苦しくてもスケートができていたので、なんとか耐えられていましたが、滑る場所がないのは本当に苦しかったですね。その後は、私の先輩の師匠にあたる方が岡山市と交渉してくれて、規模はかなり小さくなりましたが、再びスケートパークができました。そこでまた滑れるようになり、11年経ったいまも練習をしています。あの苦しかった1年間は、これからも一生忘れられないと思います。
ーインラインスケートが本当にお好きなんだな、ということが伝わります。嫌いになったことはないのですか?
普段の練習ではありませんが、大会によっては嫌になる時がたまにあります。
インラインスケートでは大会ごとに見られるポイントが異なっていたり、ジャッジに主観が入ったりする場合があるんです。そうなると、自分好みのスタイルだけでは必ずしも勝てません。ジャッジの好みを把握しながら、滑らなければいけないんです。そういう時はプレッシャーがすごくて、正直楽しさを感じられずモチベーションが下がってしまいます。
もちろん、心の底から楽しいと思える大会もあります。であれば、自分のスタイルに合った大会にだけ出ればいいと考える方もいるかと思います。でも私には、「スケート競技をメジャーにしたい」という気持ちがあるので、大会を選んではいられません。どんな大会にも挑戦をして、スケート界を盛り上げていきたいと思っています。
練習は嘘をつかない。自分を信じて挑む
―試合前に不安などを感じたら、どのように対処されていますか?
過度な緊張を感じたら、好きな曲をひとりで聴くようにしています。あとは、自分に「大丈夫、大丈夫」「できる、できる」と繰り返し言い聞かせていますね。気持ちが揺らいでいても「練習は嘘をつかない」と自分を信じて本番に挑んでいます。
師匠や両親など身近な人に助けを求めたくなることもありますが、基本的には頼らないようにしています。海外の大会では必ずしもそういう人たちが帯同してくれるわけではありませんし、頼ってばかりいると、いざという時に不安になってしまいます。あまりにも上手くいかない時は、身近な人に連絡をして心を落ち着かせることはありますが、それ以外はひとりで自分と向き合います。
自分がやってきたことを信じ、自分はできるという自信を持って、「最後はもう楽しむだけ」と言い聞かせながら、無理やりポジティブマインドに切り替えますね。
―そのように考えられるようになったのは、いつ頃からですか?
最近ですね。10代の頃は常にチャレンジャーの立場だったので、スケート人生において一番無双していたのではないかなと思うくらい、プレッシャーや怖いものは何もなく、ひたすら楽しく滑っていました。
ですが年齢が上がるにつれ、若い世代が出てきて、追われる立場になりました。その空気感に気づいた瞬間から、楽しさがどこかに消えて急激にプレッシャーを感じるようになってきました。
何のためにスケートをしているんだろうと考え込んでしまう時間も増えました。ですが、スケートを始めたきっかけに着目して立ち戻ると、はっきりした答えが出たんです。
私は、痛みや怖さを超えるぐらいにスケートが楽しかったから、ここまで続けられているのだ、と。だったら、プレッシャーに負けて辞めたいと言っている場合ではない。あの頃のように、とにかくいまを楽しみながらスケートをやるべきだ、という思考に辿り着いたんです。
―ここでもご自身と向き合うことで解決されたのですね。パフォーマンスアップのためのコンディショニングで気をつけていることはありますか?
実はこれまで、ストレッチや準備運動の重要性に気づいていなかったんです。2017年に世界選手権へ日本代表として出場した際に、他国の選手にはトレーナーがついていて、滑る前後にストレッチやマッサージ、トレーニングの指導などを受けていたのを見て衝撃を受けました。この人たちは、本当に競技として滑りに来ているんだ、ということをすごく強く感じました。遅くはなりましたが、その時にやっと意識し始めましたね。
実は柔道整復師という国家資格を持っているのですが、自分自身の体に向き合うことを怠っていました。いまは体はもちろんのこと、自分の心と向き合うことの重要性も感じています。
体が動かない日って、結局は気持ちが全然乗っていない時なんですよね。それなのにせっかくの練習時間だからと無理をすると、決まって怪我をしてしまう。子供の頃は多少無理をしても大丈夫でしたが、年齢を重ねるとそうはいかないので、少しセーブをしていまできることをしよう、と考えるようにしています。
―女性の体調管理には、月経は避けて通れない問題だと思います。女性の競技人口が少ないスケート界だと、周囲の人になかなか言えない環境ではありませんか?
競技者のほとんどが男性なので、海外遠征で女性がいない場合、誰にも相談できずにみんなのペースに合わせて移動するのは、本当にしんどいです。
自分は生理が結構重い方なので、大変だと思うことは多々あります。私が苦労しているぶん、下の世代には気を配るようにはしていて、定期的に情報交換も行っています。なかにはピルを飲んで生理周期をコントロールしている子がいて、私も試そうかなと思ったのですが、まだ踏ん切りがつかない状態です。
もっと快適に競技を続けるためには、相談できる環境があったらいいなあと。例えば、大会などの環境による変化で突然生理が来ることもあるんです。そういう時は慌てますし、ナイーブにもなるので、気軽に相談できる環境があれば助かりますね。
インラインスケートを広めるために必要な2つのこと
―インラインスケートの認知拡大や普及促進についてはどのように考えていますか?
日本人の活躍によって認知度が向上すると思い、日々頑張っています。ですが、世界1位を獲ってもメジャー競技に比べれば、メディアの扱いはすごく小さいんです。同じ世界チャンピオンなのに、世間的にどうしても優劣をつけられることがあり、寂しさや難しさ、そして劣等感を感じることもあります。認知度が上がらなければ世間の評価は変わらないので、いつまで経ってもスケートだけで生活できるようにはなりません。
インラインスケートを広めるために、大きく分けて2つのことに注力する必要があると思っています。まずひとつ目は、競技性を高めるために公式の大会を増やすこと。これは他力本願にはなりますが、協会主導で積極的に動いてほしいと思っています。
そもそもなぜ競技性を高める必要があるかというと、インラインスケートはストリートカルチャーが原点にあるので、お遊びと捉えている人も多いと思います。もちろん私自身も遊びから入っているので間違いではありませんが、同じストリート系のスケートボードが東京オリンピックで正式種目となっても、競技として真剣に取り組んでいることがまだ伝わりにくいスポーツだと感じています。特に日本は公式の大会がほとんどないので、多く開催してほしいですね。
そしてもうひとつは、競技性を高めることと相反するかもしれませんが、ストリートカルチャーとしての面も忘れてはいけないことかなと考えています。
日本ではなかなか受け入れられにくいことはわかっていますが、楽しさや魅力を知ってもらったうえで、多くの人に認められ、競技人口も増えたらいいなと思います。
―いまのお話も踏まえて、今後の目標をお聞きしたいのですが、世界チャンピオンには既になられています。次なるステージでは何を目標に掲げられていますか?
タイトルを獲るたびに、すごく嬉しいのと同時に、次はどうしようという思いが出てくるんです。公式の大会で日本人が勝つことで、この競技を日本にアピールできているという実感はあるので、そこは引き続き頑張りたいとは思っています。ただこの世界で27歳というと、もう若くはない年齢です。結婚や出産などを気にしないといけないとな、とも思っています。いまは全く予定にないんですけどね(笑)。
後で後悔したくもないですし、スケートを言い訳にもしたくない。無計画に競技だけのことを考えていてはいけないと感じつつも、具体的な答えはまだはっきり出せていません。
とにかく、スケートの面白さやカッコ良さを広めたいという気持ちはすごくあって、第一線に居続けても、裏方に回ってもそれだけは目標にしていきたいです。
―最後に、スポーツを通して伝えたいことを教えてください。
競技スポーツをしていると、嫌になることや辞めたいと思う感情が絶対に付いて回ると思います。それでも、辞めるという決断を簡単にするのではなく、ぜひ一度、過去の自分と向き合い、初心に立ち返ってみてください。
私自身はやっぱりスポーツは「楽しんでなんぼ」と思っているので、もし辛くなったときは始めた頃の楽しむ気持ちを思い出して、それぞれ取り組んでいる競技と長く付き合い続けていってほしいと思います。