山田恵里が、五輪金メダルの次に目指す先。「ソフトボールを広める使命」

2008年北京五輪、2020年東京五輪ソフトボール日本代表主将として活躍し、2022年11月に現役を引退した山田恵里(やまだ・えり)さん。

五輪でこそ盛り上がりを見せたものの、日本の女子ソフトボールはまだまだ「見るスポーツ」としては広がっていないのが現状です。山田選手もこうした現状に危機感を覚えており、「『前例がない』からと実行に至らないことが多々ある」と感じているそうです。

38歳まで選手としてプレーした彼女は、今後どのようにソフトボール界を変え、行動していくのか。引退を決意した背景から、今後の展望を伺いました。

 

変化する身体と、葛藤を続けた1年

ー改めて、2022シーズンで引退を決意された経緯をお伺いしたいです。

東京五輪を終えてからずっと、引退について考えてきました。2021年に関しては「もう一年やれそうだ」と思って続けたのですが、シーズンを戦ううち肉体的・精神的にギリギリの状態になったんです。

ソフトボールでは、常に結果を出し続けてきました。しかし東京五輪も終わり「これ以上突き抜けた結果は出せない」「選手として貢献することは難しい」と感じたのが、引退を決めた理由です。

ー精神的、身体的に苦しかったのは、具体的にどういったところだったのですか?

結果を出すための準備やルーティーンを続けるのが、しんどくなっていました。毎日同じことを続けるのが、苦しくなったんですよね。

ー年齢的な難しさもあったかと思います。

28歳をピークに、それ以上パフォーマンスが上がりませんでした。特に今シーズンは、身体の反応が鈍いと感じることも多かったですね。

若い頃と同じ練習量だと、ケガにつながってしまいます。練習しなければ結果は出ないのに、思うようにできない。自分の中で踏ん切りをつけて、(現状を)受け入れる必要がありました。「その時のベストを尽くすしかない」と、葛藤し続けた一年間でしたね。

ー身体の変化に応じて、特に意識していた取り組みはありますか?

以前よりも、疲労が溜まりやすくなりました。24歳くらいまでは、寝て起きたら元気だったのですが……。栄養バランスと十分な睡眠は、特に意識していました。

あとは、股関節や肩甲骨周りの柔軟性です。昔から身体が硬いのですが、ストレッチを意識するようになってからはケガが少なくなりました。

 

世界一のプレッシャーと戦い続けた

―2008年の北京五輪で金メダルを獲得し、東京五輪でも大きな期待とプレッシャーがあったと思います。

おっしゃるとおり、「金メダルが絶対だ」と捉えていました。周囲からも期待をいただいてましたし、自国開催で緊張感もありましたね。

正直、すごくしんどかった中でなんとか乗り越えたという感覚です。東京五輪の期間中は、しっかり食べているのに体重が減っていく状態でした。

悩んだときは一人で抱えず、積極的にチームメートに相談していました。私はキャプテンでしたが、皆が支えてくれたからこそやってこれたと思います。

代表でも所属チームでも、チームワークの大事さを感じています。一つのミスが重くのしかかる競技なので、お互いをカバーし合う意識が強いです。

これまでの五輪では、プレッシャーを感じることはなかったんです。序盤は個人的な結果もよくなかったので、勝手に自分を追い込んでいる部分もあったと思います。

チームとして金メダルを目指していましたが、一番(プレッシャーを)感じていたのは私かもしれません。今回、五輪経験者は3人だけでした。若い選手の成長が結果につながると考えていたので、「皆にはのびのびプレーしてほしい、プレッシャーは自分が背負えばいい」と考えていました。

ー強いですね。

でも、上野さん(※)は「今回が一番ラクだった」とおっしゃっていてさすがだと思いましたね。北京五輪でアメリカと対戦した時は、実力差がかなりありました。常に全力でいかないと勝てなかったので、当時の方が苦しかったそうです。

※上野由岐子:女子ソフトボール日本代表。山田さんと1歳違いで、北京五輪と東京五輪で投手として金メダルに大きく貢献

ーやはり、上野さんの存在は大きいのですね。

頭がいいし、栄養のことから経済のことまで、知識が豊富なんですよね。

本当にストイックな方です。あの年齢(40歳)で誰よりも走りますし、トレーニングもされています。ボールの速さが変わらず、球種が増え続けている理由がわかりますよね。自分と向き合い、自分の立場をしっかりと理解してプレーされています。

正直やめたいことも多くありましたが、そばでいつも刺激をくださっていましたし、「一人でソフトボール界を背負わせるわけにはいかない」と思うことができました。上野さんがいなければ、もっと早くに引退していたかもしれません。

「前例がない」で終わらせたくない。

ー五輪でこそ盛り上がるものの、日本でソフトボールが広まっていくには課題も多いと思います。

どこで試合をやっているのかすら知られていないと思うので、まずは近くの地域の方々に知っていただくきっかけを作りたいです。例えばプロ野球の前座試合として開催したり、市役所で放送していただいたり。

選手自ら、知ってもらう活動をすることも大切だと思っています。今の環境に甘えず、自分たちから人を呼びにいくようにしてほしい。実業団に入っている以上、使命だと思って取り組んでもらいたいですね。

発信したり、誰かと組んで一緒にやったり、いくらでも方法はあると思うんです。特にソフトボール界は「前例がない」からと実行に至らないことが多々あると感じています。

やってみてダメだったら方法を変えればいいし、良かったら続ければいい。所属会社との兼ね合いもあると思いますが、自分たちで考えて動くことも大切かなと。私も現役時代にはあまりチャレンジできなかったので、これから積極的に活動していきたいと思っています。

ーご自身のTwitterに資格の取得や、大学院への進学を視野に入れていると投稿されていましたね。

これからは、誰かが結果を出すためにサポートしていければと思っています。そのために、心理学、マネジメント、コーチングなど幅広く学んでいきたいです。今は経験則からしか話せないので、そこに理論や考え方がプラスされれば、より誰かの役に立てるのではないかと感じています。

あと、実際に足を運んで人と触れ合うことも大切にしていきたいです。自分から、ソフトボールを知ってもらうきっかけ作りができればなと。

取材当日、母校の藤沢市立御所見小学校で講演会を実施していた

 

ー最後に、スポーツへ取り組む女性へメッセージをお願いします。

取り組む目的は何であれ、誰もがスポーツを通じてなりたい自分に近づけると思っています。楽しみながら、思い描く姿を実現していってほしいですね。

「楽しみながら」なんて言っていますが、自分自身は現役時代まったく楽しめなかったんです。でも、スポーツだから感じられる楽しさがあると思っています。結果を出すために没頭して、全力で取り組むこと。相手との駆け引きを楽しむこと。こうした充実感を感じられたら、気持ちも上がり、結果として上手くいくことも多くありました。

競技を長く続けるほど、楽しむことは難しいと思います。ですが、時には原点に立ち返って、競技を好きな気持ちや没頭する瞬間を大切にしてほしいと思います。

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