近賀ゆかり、引退前のメッセージ。彼女がいま伝えたい、日本の女子サッカーに「本当に必要なこと」

日本女子サッカーのレジェンド、近賀ゆかり選手が、現役引退という人生の大きなターニングポイントを迎えました。2011年、FIFA女子ワールドカップ優勝という輝かしい栄光を手にし、長年トップを走り続けた彼女が、今、何を思い、何を伝えようとしているのでしょうか。

サンフレッチェ広島レジーナでの「観客動員1万人プロジェクト」で見せたチームの成長、胸に刻んだワールドカップの「反省」、そして「1ミリも辞めたいと思ったことはない」というサッカーへの尽きない愛。変化の時代を生きる一人の女性アスリートとして、彼女が今だからこそ語れるサッカー人生への深い思いと、次世代へつなぎたい願いについて、じっくりとお話を伺いました。

選手の意識を変えた、前代未聞の「観客動員1万人プロジェクト

―「観客動員1万人プロジェクト」を終え、改めて振り返ってみていかがですか?

選手主体で集客に取り組んだことが、何より大きな収穫でした。実際に彼女たちが、プレーと同じ熱量で活動した結果、目に見える成果につながりましたし、他のクラブでも選手がここまで深く集客に関わった例はないと思います。本当に良い意味で、このプロジェクトを通して選手たちの意識は大きく変わりました。

―近賀選手から見て、どういった部分に意識の変化がありましたか?

クラブに対する意識が変わったと思います。当事者意識が芽生えたというか、どの選手も集客を「自分ごと」として考えるようになりましたね。どうすればもっと試合にお客さんを呼べるか、そしてスタジアムで楽しんでもらえるか。それらを自然に考えて行動する、そんな素晴らしい土壌ができました。まだ歴史の浅いレジーナにとって、未来へつながる本当に価値ある一歩になったと思います。

―結果的に集まった「2万人」という数字は、本当に大きなインパクトがありましたね。

最初は「まさか!」と、信じられなかったです。でも、2万人という数字は、私たちに大きな自信と達成感を与えてくれました。今後は、タイトルを獲ることとお客さんを集めること、この二つを同じ熱量で追いかけていきたいです。

―今回のプロジェクトを通じて、改めて感じたレジーナらしさを教えてください。

みんなで何事にも真剣に向き合う姿勢ですね。そして、自然と協力し、助け合える温かさ。それらがそのままサッカーにも表れていて、レジーナは、本当に他ではちょっと見られないくらい素敵なチームだと思います。

ー「他では見られない」という言葉の通り、競技を問わず女子チームならではの難しさがありますよね。

そうですね。女子チームならではの繊細さというか…例えば、どうしても小さなグループができてしまったり、チーム内に目に見えない温度差が生まれてしまったり。そういったことは、どこでも起こりうることかもしれません。

一方でレジーナは、個々の仲の良さはありつつも、何か一つのことに取り組む際は誰と組んでも真剣で、人の足を引っ張るような雰囲気も全くない。これって、当たり前のようで、実は本当になかなかないことで。だからこそ、奇跡的なチームだなと思いますね。

―その雰囲気はどのようにして醸成されたのでしょうか?

それは本当にみんなが作ってくれましたね。ある意味、私たちベテランが一番浮いていたくらい(笑)。なので、この空気感を良いと感じる選手が多いからこそ、今のレジーナがあるのだと思います。

見守り続けた4シーズン。近賀ゆかりが感じた、レジーナの確かな成長

ーベテランというお話もありましたが、チームメイトとのコミュニケーションで意識されていたことはありますか?

普段は本当に自然体なのですが、勝負の局面では、やはり少しは意識していました。プロである以上、勝利へのこだわりや結果に対する責任感は、チーム全員が持つべき最低限のベースだと考えていたので。その点については、言うべき時にはハッキリと伝えてきたと思います。

―発足から4シーズン目を迎えたレジーナですが、どのようにチームが一つになっていったのでしょうか?

正直なところ、発足1年目は一戦一戦に懸ける想いや、プロとして結果を示すことへの自覚という点で、チームとしてまだ未熟な部分もありました。でも、サポーターの皆さんの熱い声援と2度のWEリーグカップ優勝、そういった一つ一つの積み重ねが、チームを一つにしてくれていったと思います。

―レジーナでプレーしてきた中で、忘れられない試合や瞬間があったら教えてください。

直近の試合ですが、先日のアルビレックス新潟レディースとのWEリーグ最終戦です。結果は後半アディショナルタイムに追いつかれてのドローという悔しいもので、その時の選手たちの顔が、今でも目に焼き付いています。みんな本当にその表情に悔しさが滲んでいて、それを見た時に「ああ、このチームはこんなにも逞しくなったんだ」と感じました。あの瞬間は、この4シーズンの集大成だったかもしれません。

―レジーナというチームに対して、今の段階で何か伝えたいことはありますか?

より多くの選手が日本代表に選ばれ、クラブとしても世界で評価されることを期待しています。とはいえそれらの目標を達成するには、チームと個の力、その両方が絶対に必要です。幸い、今のチームには基礎がしっかりありますから、その良さを伸ばしつつ、個々の選手の可能性をさらに引き出すことに、より一層力を注いでいってほしいですね。

ー個々の選手の成長という点で、今のレジーナの選手たちに、今後どんなことに挑戦していってほしいですか?

選手たちには、もっと自己主張を恐れず、お互いに厳しい要求もできるような関係性を築いていってほしいです。今のレジーナは、本当に雰囲気が良くて素晴らしいチーム。ただ、それだけに一人ひとりがチームの調和を優先しすぎてしまう面もあって…。

とはいえ、仲の良さだけで勝ち抜いていけるほど甘くないのがプロの世界です。チームとしてさらに強くなるためには、まず選手一人ひとりが、個の力を最大限に高めていくこと。それが何よりも大切だと思っています。

日本の女子サッカーには「手がつけられない」強さを目指してほしい

―今後、日本の女子サッカーがさらに発展していくためにはどんなことに取り組むべきだとお考えですか?

今は海外で活躍する選手が増えていますし、世界を相手に十分戦えることは証明されています。ただ、他国も技術・戦術レベルも向上し、フィジカルも備わってきている。以前は日本が秀でていた部分も追いつかれつつあります。

だからこそ、私たちが今目指すべきは、その「上手さ」を誰も寄せ付けない「圧倒的な何か」にまで高めることです。個々の選手の技術は世界レベルなので、それを「あの子のあれは手がつけられない!」と世界に言わしめるまで、一人ひとりが突き抜けること。

そしてチームとしても「これぞ日本の強み!」と示せる絶対的な武器がほしいですね。例えば、日本の良さであるきめ細やかな技術や戦術理解度を活かした、個としても組織としてもレベルの高い守備力。世界が「日本は手がつけられない」と一目置くような、本物の力を持つこと。それが今の日本に一番必要だと思います。

―日本全体で女子サッカーやWEリーグがもっと盛り上がっていくために、必要なことはなんでしょうか?

今季、INAC神戸の得点王が外国人選手だったのは、ある意味、成功例だと感じています。これまでは、外国人選手が来ても強いインパクトを残せないイメージがありました。クラブの選手獲得やその後のケアの問題もあったかもしれません。「すごい外国人が来たぞ!」というのは、注目を集める一つの要素になると思います。

あとは、集客ですね。「これがプロリーグなんだ!」という熱気を、リーグ全体でしっかり作り上げる必要があるなと。やっぱり選手も見られることで意識が変わりますし、それが競技力向上、ひいては女子サッカーやWEリーグの価値向上に、必ずつながるはずです。

女子ワールドカップ優勝での「反省」。絶好のチャンスを逃した、悔しい思い出

―引退という節目を迎えられ、アスリートとして、そして一人の女性として、どのようなお気持ちでいらっしゃいますか?

今、女性を取り巻く環境がようやく変わり始め、本来あるべき姿へと少しずつ向かっています。それは私たちアスリートにとっても同じで、単にピッチ上で結果を出すだけでなく、自分自身や競技そのものの価値を高めるための行動が、これまで以上に求められる、本当に大事な転換期だと感じています。

振り返ると、少し悔しい思い出もありました。例えば2011年のワールドカップで優勝した時。あれは女子サッカーの価値を飛躍させる絶好のチャンスだったはずなのに、私たちはそれを十分に活かしきれませんでした。もっと主体的に、何かを仕掛けていくべきだったのに、それができなかったという反省があるんです。

だから今度こそ、と思っています。この変化の波を、私たち自身の手で大きなチャンスに変えなければ、と。アスリートは競技力を磨き続けることはもちろん大切ですが、同時に、自分たちの活動を通じて競技の魅力を伝え、その価値を高めていく。その両輪で積極的に行動を起こすことに、今は本当に大きな価値と可能性があります。

誰かがしてくれるのを待つのではなく、自ら仕掛け、新しい道を切り拓いていく。若い選手たちには特に、そのチャンスを掴み取り、女子サッカーの新しい未来を創造していってほしいと願っています。

―これまでのサッカー人生の中で、一番自分らしくプレーできた時期はいつ頃でしたか?

日本代表で優勝していた頃、INAC神戸にいた時期ですね。周りの選手に本当に恵まれていて、上手な選手たちに囲まれていました。走ればボールが出てくるし、預ければ何とかしてくれる。自分が何もしなくても何かが起こるような感覚でした。私を「近賀ゆかりらしく」させてくれる人たちに囲まれていた時期ですね。

逆に、引退会見でも話しましたが、レジーナではなかなかそういうものを出せませんでした。これまでしてもらったことを返したいという気持ちがありながら、それができなかったことが、いつも悔しくて、申し訳なくて。自分がこんなに良い思いをしてきたからこそ、若い選手たちにも味わわせてあげたかったですね。

―ご自身のサッカー観や価値観に大きな影響を与えた転機や出会いがあれば教えてください。

高校卒業後、日テレ・ベレーザに入った時は衝撃的でした。みんな本当に上手くて、ボールに触れないくらい。若い時期をそういった刺激的な環境で過ごし、サッカーのずる賢さなど、多様な楽しさを知れたのは大きかったです。

海外では、それまで日本で「これが良いサッカーだ」と思っていたものとは全く違うサッカーに触れました。レベルの低いリーグも経験し、多様なスタイルを知ることで、「これもサッカーの一つの形なんだ」「このスタイルにはこういう良さがある」と視野が広がりました。それが今の自分の思考の幅につながっていると思います。

近賀ゆかりから、すべての女性アスリートへ届けたいメッセージ

―今の若い選手たちに対して、どのような視点を持っていてほしいとお考えですか?

若い選手たちには、まず何よりも、自分のプレーが持つその素晴らしい可能性に気づいてほしいです。

実は私自身、若い頃は自分のサッカーが誰かの力になるなんて、想像もできませんでした。でも、ワールドカップで優勝した後、ファンの方から「なでしこジャパンを見て頑張れました!」と声をかけていただいて、「自分の好きなことが誰かのためになるなんて、こんな素敵なことはない!」と、本当に心の底から感動したんです。

あの経験を通して、スポーツやサッカーには、本当に特別なパワーが秘められているんだと実感しました。私たちがピッチで真剣に戦う姿、あるいは地域や社会の課題に目を向け、人々と温かく繋がっていくこと。そうした一つ一つの行動が、誰かの心を励まし、勇気づけ、時には社会を動かす小さなきっかけになっている。

だからこそ、若い選手たちには、その自分のプレーが持つ力や影響力に、できるだけ早く気づいてほしいと思っています。

―では、結婚や出産などライフステージの変化によって競技との向き合い方が変わる女性アスリートに対して、どんなメッセージを伝えたいですか?

もし競技生活とライフスタイルの両方を心から望むなら、どちらも諦めずに進んでほしいですね。

ただ、その想いを実現するためには、何よりも「環境」が欠かせません。アスリートとしての道も、一人の女性としての人生も、どちらも輝かせられるような多様な選択肢があって、その一つひとつが「かっこいい!」と心から応援される。そんなスポーツ界が理想です。アメリカの選手たちを見ていると、その辺りのバランス感覚が本当に素晴らしいなと感じますし、嬉しいことに、最近の日本では出産後に復帰する選手も増えてきました。

だからこそ、そうした「当たり前」を実現するための環境づくりは、決して選手本人だけの問題ではないんです。チームやファン、そしてこれからアスリートを目指す若い世代も一緒になって、私たちみんなで真剣に考えるべき大切なテーマだと思っています。

素晴らしい選手がライフステージの変化を理由に、大好きな競技を諦めてしまうなんて、それは計り知れない損失です。そうならない未来を、みんなで創っていきたいですね。

ーライフスタイルとの両立という点で、アメリカの女子サッカー界から学ぶことがまだたくさんありそうですね。

そうですね。もうかなり昔のことになりますが、中学で初めてアメリカ遠征に行った時、公園で女の子たちが普通にサッカーをしているのを見てカルチャーショックを受けました。「国が違うとこんなにも違うのか」と。大学の施設もプロのスタジアムのようでしたし、昔からアメリカへの憧れは強かったです。その点、日本も変わってきましたよね。CMで女の子がサッカーをしているのを見ると、それが不思議ではない世の中になったんだなと嬉しく感じます。

ー様々な経験をされてきた近賀さんですが、そもそもこれほど長くサッカーを続けてこられた原動力は何だったのでしょうか?

本当に、ただただサッカーが好きなんだと思います。

―ちなみに、サッカーを辞めたいと思った瞬間は?

一度もありません。サッカーを始めてから今まで、1ミリも辞めたいと思ったことはないんです。試合に負けても、怪我をしても、どんなに大変でも、解決方法が「サッカーを辞める」にはつながりませんでした。もう、サッカーが好きすぎるのかもしれませんね(笑)。

―改めてご自身のこれまでのキャリアを振り返って、どのような言葉をかけたいですか?

「幸せだったね」と伝えたいです。

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