ママアスリートとして世界に挑む私が送るメッセージ。柔術家・中山有加が見つけた「自らの挑戦」と育児の両立
柔道の元・全日本チャンピオン、中山有加(なかやま・ゆか)さん。一度は現役を引退し指導者の道へ進みますが、結婚・出産を経て、彼女が復帰の舞台に選んだのは柔道ではなく「柔術」でした。
産後のブランクを乗り越え、柔術家として再スタートを切った彼女は、2025年8月の国際大会「World Master 2025」でついに階級別で悲願の金メダルを獲得。一児の母として、柔術家として、新たな輝きを放っています。
競技転向の決断、ゼロからの産後復帰、さらに「ライフステージの変化で夢を諦めてしまう女性の後押しになりたい」と語る中山さんの競技と子育ての両立術に迫りました。
目次
「再び選手に」気づいた本音と復帰への葛藤
ー競技復帰を決めたきっかけについて教えてください。
30歳で柔道を引退し、指導者の道に進んだことをきっかけに、コーチングについて学び始めました。「相手の可能性を最大限に発揮させる方法」を学ぶうちに、「自分自身が自分の可能性を閉ざしているのではないか」と感じるようになったんです。
本当はまだ柔道をやりたいのに、その思いに蓋をして指導者や家庭に気持ちを向けているんじゃないかと。そう気づいたことで、競技にもう一度挑戦しようと決意しました。
ーコーチングを学ぶ中で、ご自身の気持ちと向き合うことも増えたかと思います。当時の気持ちを振り返っていかがですか?
まさに、自分の本心と向き合う時間になりました。コーチングを通じて「私は、本当にこの仕事がしたいんだっけ?」と自問するようになったんです。安定した収入や子育てを理由に、指導者の仕事に留まっているだけなんじゃないか、という迷いも生まれました。
もちろん復帰しない選択肢も考えて悩みましたが、必ず後悔するなと思ったんです。一度きりの人生ですし、挑戦をしようと覚悟を決めました。

ー復帰するにあたって、悩んだことはありましたか?
アスリートの活動に専念するために、仕事を辞めなければならなかったことです。当然、収入がなくなることへの不安はありましたね。
それに加えて、周囲からは反対の声も…。「結果を出せるか分からないのにリスクを負う必要があるのか」と言われることもありました。
ーしかもこれまでやってきた柔道ではなく、柔術という別の世界に飛び込む決断をされました。なぜ競技を変えることにしたのでしょうか?
以前からトレーニングの一環として柔術をやることはありました。立ち技主体の柔道に比べて、柔術は寝技が中心です。私は元々寝技がすごく好きで、もっと極めたいと思ったんです。
さらに柔道よりも競技人口が少ない分、上位を目指しやすいという思いも少なからずあったと思います。柔道の経験を生かしつつ、活躍できる可能性を模索した結果、柔術への挑戦を決めました。
ーそもそも柔術とは、どのような競技なのですか?
柔道と似ている部分も多いのですが、先ほどお伝えした通り、柔道が立ち技主体なのに対し、柔術は寝技が中心、というのが大きな違いです。
この柔術、実は格闘技の中でもかなり挑戦しやすいスポーツだと思います。試合も実力が近い人としか試合が組まれないので、一方的にやられてしまう、ということがほとんどないんです。だから何歳でも始めやすく、幅広い方が柔術を楽しんでいます。
そして、柔道が瞬発力など身体能力もかなり求められるのに対し、柔術は「知的な格闘技」と言われるほど頭を使います。その戦略性から、経営者などビジネスの世界で活躍する方が趣味として始めるケースも増えているみたいです。
母として挑んだ復帰の道のり。柔術で世界を目指す覚悟を決めるまで
ー出産を経て、約5年半ぶりの競技復帰となりました。復帰を決意されてから、どのような道のりでしたか?
産後一年が経過した頃、復帰を考えていたタイミングで、ありがたい出会いがありました。アスリートの産後復帰を支援するトレーナーさんと偶然出会い、サポートしていただけることになったんです。
そこから身体作りが始まりましたが、本当にゼロからのスタート。すべて支えていただきながら、みっちりトレーニングに励み、地道に取り組みました。
試合に初めて出場したのは半年後で、徐々に国内の大会で勝てるようになっていきました。
ートレーニングの中で大変だったことはありますか?
一番は、自分の感覚と身体が全く一致しなくなったことですね。 今までは感覚的に「こう力を入れれば、こう動く」とイメージ通りに身体が動いていたのに、それが全くできなくなっていて。これが産後の身体なんだと痛感させられた瞬間でした。そこからは、トレーナーに細かく指導してもらい、一つ一つの筋肉を意識して動かすトレーニングで、地道に感覚を取り戻していきました。
ーコンディションを維持するためにご自身で取り組んだことはありますか?
まだ柔道をやっていた頃、本格的に減量に取り組むことになって、せっかくならプロに話を聞こうとボディビルの選手たちが参加するセミナーに行ったことがあります。女性柔道家はかなり珍しかったようで名前を覚えてもらい、今でもSNSなどを通じて交流が続いています。
ーそこで減量の仕方や食事法などを学ばれたんですね。
食事やトレーニングでコンディションを整えるための知識は、柔道界はまだまだ浅い部分があります。一方でボディビルに取り組む方々は、身体の仕組みや整え方についてすごく精通していました。
たとえば、炭水化物やタンパク質などの栄養素を何グラムずつ摂取したら良いか、運動の何分後に食事を取るべきかなど、とにかく細かく管理するんです。実践したところ、自分にはとても合っていて、減量も上手くできるようになっていきました。
すべてを取り入れようとするのではなく、知識を増やすことで自分に合った方法を取捨選択できればベストだと思い、勉強していました。ここで学んだ知識は、いまでもすごく役に立っています。

ートレーニングを経て、初めて柔術の試合に出場した感想は?
柔術には帯制度、いわゆるレベル分けがあるので最初から強い選手と対戦することはありません。私は一番下の階級からのスタート。柔道経験があるのではじめはまず負けないだろうという思いがあり、緊張やプレッシャーはあまり感じませんでした。
ーそこから柔術家としての活動を本格的にスタートされます。振り返っていかがでしたか?
柔術を始めた時に今度こそ世界チャンピオンになりたいと思い、周りに話したり、SNSで発信したりしていました。柔術は競技人口が少ないため、世界大会のレベルも正直さまざまで、実は出場すること自体のハードルはそこまで高くはありません。けれど、子どもがまだ幼く自分の競技歴も浅いため、「こんな自分が出場していいのかな?」と勝手に思い込んでいました。
国内大会で優勝して満足し、なんとなくエントリーを控えていた自分にもやもやしていたのをすごく覚えています。
ー世界大会に挑戦しようと決意したタイミングはいつ頃だったのですか?
2023年に国内大会で優勝した後のインタビューで「今後の目標は?」と聞かれ、いつものように「世界チャンピオンになりたい」と答えたのですが、それを後日見返したときに、エントリーできるにもかかわらず出場すら躊躇っている自分が何を言っているんだろうと。口だけでなく、きちんと行動に移さなければなと出場を決意しました。
「試合の数分前まで子どもの面倒を…」競技との両立に必要な工夫
ーいざ世界大会に挑戦しようと決意しても、資金面や子育てとの両立などさまざまなハードルがあったかと思います。まず資金面ではどのような苦労がありましたか?
世界大会に行くための資金を自分だけで用意することは難しく、多くの方に話を聞きに行きました。そこでやはりスポンサーを募る必要があるなと思い、ほかの女子アスリートの活動例やスポンサー集めの方法などを勉強しました。
最終的には通っているジムで出会った方などから協力をいただき、資金を集めることができました。他のアスリートからも、個人競技では特にスポンサー集めが難しいという話をよく耳にしますね。
ーなるほど。 自分から営業したというよりはこれまでのつながりなどを有効活用されたのですね。
そうですね。柔道時代や柔術のジムでのつながりは、かなり大きかったです。今も定期的にスポンサー集めを行っていて、少しずつ規模も広がっています。
ー競技復帰後は子育てに充てられる時間も減ってしまうように感じますが、ご家族の中でどのように工夫されていますか?
基本的に子どもが保育園に行ってる間に練習をしているので、以前よりも夫の負担が増えることはなかったと思います。 ただ試合は土日に行われることが多く、私が連れていけない場合は夫に面倒を見てもらうこともありますね。
ー最近では子育てとアスリートの両立を支える制度も徐々に広がりつつありますが、活動を通じて「こんなサポートがあったら」と感じることはありますか?
柔道では、試合会場に託児所があることが多かったのですが、柔術ではマイナー競技ということもあり、ほとんど設置されていません。試合の数分前まで子どもの面倒を見て、何分か試合をしたらすぐ戻るなんてこともありました。
やはり土日に子どもを預けられる場所は少ないので、現在も地方で試合がある時は、遠征先に母に来てもらうなど工夫をしながら競技を続けています。子育て中でも、もっと自分のやりたいことにも挑戦していけるように、子どもを預ける環境が整っていけばいいなと思います。
柔術が教えてくれた「楽しむ」ことの大切さ。ママアスリートとして描く未来
ー子育てをしながらの選手生活になり、自分の気持ちや心構えに変化はありましたか?
元々は勝たなければ意味がないと、自分にも人にも厳しくストイックな性格でした。
けれど今は、以前のようにストイックに生活することはできません。練習も食事のメニューもすべて子どもに合わせています。ある意味子どもが最優先になったおかげで視野が広がりました。以前の私なら試合5分前まで子どもと話しているなんて考えられませんでしたね。

ーアスリートとして勝つためにも、少し余裕を持つことは重要ですよね。
そうですね。自分の器が大きくなったなと感じますし、勝ち負けだけにこだわらなくなったこともアスリートとして成長したなと思います。
ー柔道をしていた頃はほとんど休みなく練習していたのでしょうか?
そうですね。練習しないと勝てないと思っていたんです。人よりたくさんやらなければと思い込みすぎていました。
けれどいまは、競技を楽しめている人の方が強いと感じます。結果を出さないとクビになる世界で戦ってきたので仕方のない部分もありますが、今はそれがないからこそ自分が楽しいと思えることに思いきりチャレンジできています。結果的に、楽しいから練習して強くなるという好循環に繋がっていますね。
ー結果的にそういう姿勢のアスリートの方が成長していける気がします。
自分自身が幸せになるために競技をやっている側面もあると思うんです。アスリートは厳しい環境で本当にストイックに競技と向き合ってるからこそ、自分が幸せかどうかを大切にしてほしいなとすごく思いますね。
ー苦労を乗り越えて世界チャンピオンに辿り着いた今、改めて思うことはありますか?
挑戦を諦めなくて良かったなと強く思っています。もちろん、どちらが正解というのはないのかもしれません。ただ、私は柔術を始めたことを正解にしようと思って取り組んできて、少しずつ自分のやりたかったことを実現できているのかなと感じます。
ー最近では現役を続けながら結婚や出産をするアスリートも増えつつありますが、やはりその決断には勇気がいると思います。アスリートに限らず、ライフステージを変えるタイミングで悩む女性にメッセージはありますか?
女性の場合、出産には時間的なリミットがあると思うので、後悔しないようにきちんと優先順位をつけることも大切です。ただ、それ以外は自分のやりたいことを思う存分やってみて良いと思います。
少しずつ情報を集めてみるように心がけたり、新たな人と出会ってみたり、それで十分なんじゃないかと。挑戦したくなった時は、今の枠を少しはみ出しても大丈夫だと伝えたいですね。
ー最後にこれからの目標を教えてください。
中学生の頃から最強になりたいという少し変わった願望があるんです。
最強とはなに?と聞かれると、自分の中では「ずっと成長し続けること」「挑戦し続けること」なんじゃないかなと思います。今はアスリートとしてどの大会で勝ちたいと明確な目標があるわけではないですが、少しずつ実力を上げて成長していきたいです。
また、ママアスリートの存在が徐々に増えつつはありますが、まだまだ多くはありません。こうしてメディアに取り上げてもらう機会を増やすなど、子育てをしながら頑張る人の後押しになる存在を目指していきたいです。

