「自分にしか届けられない陸上の魅力がある」バセドウ病と向き合い、熊谷遥未が見つけた未来への道しるべ

陸上短距離400mトラック競技を中心に活動する熊谷遥未(くまがえ・はるみ)選手。法政大学陸上競技部を経て、現在は青森県スポーツ協会に所属し、競技に取り組んでいます。

そんな熊谷さんは、高校1年生の頃にバセドウ病を発症。病気と向き合いながらも陸上を続ける道を探し続けてきました。さらに陸上に特化したWebメディア「リクゲキ」のライター兼編集長としても活動中。選手活動と両立しながら、陸上の魅力を多くの人に届けるために日々奔走しています。

競技者として、そして伝える人として。病気を乗り越えながら陸上と向き合い続けてきた熊谷さんに、これまでの歩みと活動に対する思いを伺いました。

あと一歩を逃してきた学生時代。挫折が競技継続の鍵になる

ーまずは、陸上を始めたきっかけを教えてください。

陸上を始めたのは中学1年生の頃。あまりスポーツに関わってこなかった幼少期でしたが、ずっと運動部に憧れていました。小学校でリレーの選手をしていたことや他のスポーツがあまり得意ではないと感じていたので、陸上部に入りました。

中学3年生で東京都の強化選手に選んでいただいたことが、大きな転機になりました。トップレベルの選手を目の前で見て、「こんなに高い意識を持ち、陸上に取り組んでいる人がいるんだ」と肌で感じたんです。そこからもっと上を目指したいと思うようになりました。

ー高校や大学では、どのような目標を掲げて取り組んでいたのでしょうか?

高校では、中学で叶えられなかった全国大会出場を目指していました。

ただ、最後のチャンスだった3年生の時、インターハイ予選で肉離れをしてしまって……。すべてをかけていたので、しばらくは現実を受け入れられず、心にぽっかり穴が空いた気分でした。

でも、しばらくしたら「ここで終わりたくない」という気持ちが強くなって。大学でも陸上を続けようと決めたのは、この挫折があったからです。

ー怪我に苦しめられた学生生活だったのですね。

陸上は大体4月から11月までのシーズン後に冬季練習があるのですが、その厳しい練習に身体が追いつかず、毎年冬に怪我をしていました。特に大学4年生のときは、最後の学生シーズンということもあり頑張っていましたし、調子も上がってきていたんです。

でも、3月にまた肉離れをしてしまって。腱が断裂してしまうほどのひどい怪我でした。高校最後と同じように、大事なタイミングでの怪我だったので、すごくつらかったですね。

ー大学での競技生活は振り返っていかがでしたか?

2年生までは環境に慣れるのにかなり苦労しました。練習量が大幅に増えただけでなく、片道2時間かけて通学して、授業も受けて。目の前のことに必死で取り組む日々でしたね。

このままでは何も変わらないと、3年生以降は目的意識を持って練習することを心がけ、徐々に成果が出るようになりました。

ー現在は青森県の社会人チームで競技を続けていらっしゃいます。どのような経緯でチームに所属することになったのですか?

法政大学の卒業生で青森県出身の方がいて、その方から声をかけていただきました。2026年に開催される「青森国スポ(※旧・国体)」に向けた取り組みもしていて、県内で試合があるときは地域の方の家に泊まらせていただくこともあり、温かい環境だなと感じています。また、チームとしては青森県内の中高生をもっと強くしていきたいという思いがあり、私も学生指導に取り組んでいます。

ー大学卒業後も競技を続けるというのは大きな決断ですよね。

大学4年生で初めて日本選手権に出場し、400mでいきなり8位入賞をすることができたんです。400mは大学3年生になってから始めた種目だったので、自分にはまだ可能性があると強く感じました。日本選手権終了後に「競技を続けよう」と決意し、監督にも相談しました。

〈写真提供:本人〉

「自分だけ何もできていない……」病気の最中、焦りと不安で揺れた心

ー高校1年生のときにバセドウ病を発症したと伺いました。発症した時のことを改めて教えてください。

病気が発覚したきっかけは、中学3年生の3月に罹ったインフルエンザでした。感染後1カ月以上、ほぼ寝たきりの状態が続いたんです。その後も息切れやめまいなどの症状があり、前のように走れなくなりました。

さすがにおかしいと思い病院に行ったところ、バセドウ病と診断されました。幸い手術は必要なかったのですが、競技からは1カ月半ほど離れることに。一度休んだ後は、薬を服用しながら少しずつ練習を再開し、競技に復帰しました。

ーバセドウ病の症状は、具体的にどのようなものなのでしょうか?

人によって異なるのですが、私の場合は、息切れや手の震え、汗の量が増えるなどが主な症状でした。

そもそも練習で長い距離を走ることが多いので、病気が原因で息切れなどが起きているのか分かりづらかったのですが、明らかに異常な汗や息苦しさを感じることが増えました。

特に気になったのは手の震え。激しく震えるわけではないのですが、走っている時だけでなく日常生活でも震えている感覚があって。ふとした時に「あれ?」と違和感を覚える感じでした。

ー一度発症したら、症状と向き合い続けなければならない病気なのでしょうか?

一生付き合っていく必要がある病気と言われています。ただ私自身、大学生の頃は落ち着いていて、薬も飲まずに生活できていました。再発のタイミングやきっかけは人によって様々なので、大学時代も半年に1回の定期検診を受けていました。

ーその後、昨年(2024年)にも病気が再発しました。いつ頃から違和感を感じ始めたのでしょうか?

昨年の3月頃からアキレス腱の痛みが続き、思うように練習ができなくなっていたんです。

また、学生時代とは異なり1人での練習が増えたことや、お給料をいただきながら競技に取り組む環境に変わったことで、自分を必要以上に追いこんでしまったのかもしれません。結果的に高校1年生の頃と同様の症状が現れ、再発していることが分かりました。

ただ、高校で発症した時と違い早めに気づくことができたので、薬で症状をコントロールしながら競技を続けることにしたんです。

ーそれでも、競技を一時的に休まれる判断をされたのですね。

社会人になってから大きな目標だった日本選手権まではとにかく頑張ろうと。でも思ったように症状が改善せず、一度競技を離れてしっかり治そうと決断をしました。

ーそこから競技復帰を目指すにあたって、どんなことに取り組まれたのですか?

まずは医師から症状が出るような行動は控えるように言われたので、約1ヶ月ほど運動を完全に休止しました。

ただ、社会人アスリートとしてお金をいただきながら競技をさせてもらっている以上、「自分だけ何もしていなくていいのか」という思いが常に頭の中にあって……。周りは働きながら頑張っているのに、自分は何もできていないという申し訳なさや焦りを強く感じ、葛藤していましたね。

ーバセドウ病を経験したことで感じたことや陸上への思いに変化はありましたか?

「自分の経験を誰かに伝えることで、同じように悩んでいる人の力になれたら」と考えるようになりました。

高校1年生で病気が見つかって前を向けなかった時、たまたま同じバセドウ病を経験した水泳の星奈津美さんというアスリートの方の特集を目にしたんです。病気を乗り越えてオリンピックに出場されているその姿にすごく勇気をもらいました。

陸上で上を目指すことももちろん大事だけど、「自分の姿や言葉で誰かを励ましたい」ということも、競技から離れたことで再確認できたんです。

この時期に出会ったのが、現在関わっている「リクゲキ」の仕事でした。

注目されにくい声にも光を。取材や発信を通じて次は背中を押したい

ーリクゲキとの出会いは、ちょうど競技をお休みされていた時期だったのですね。それはご自身から連絡を取ったのですか?

陸上やアスリートの活動を調べていた中で出会い、自ら連絡を取りました。自分が前に出るのではなく、裏方として陸上に携わってみたいと思ったんです。

ーお話を聞いていると、自分自身の経験や思いを発信する一方で、他の選手や陸上界のことも伝えていこうという姿勢が伝わってきます。

私は運良く、社会人でも競技を続けられていますが、周りでは「競技を続けたいのに、続けられる環境がない」という選手も多いんです。

競技を諦めざるを得ない状況を見てきたからこそ、「そういった選手たちのために何か力になりたい」「陸上の競技環境を少しでも良くしたい」という思いが芽生えました。

ーリクゲキではどのような方々にインタビューを行っているのですか?

現役選手や引退された方、マネージャーなど、幅広い方々を取材させていただいてきました。ただ、現在は私ひとりで運営をしているので、どうしても取材する方が自分のつながりに偏ってしまうという悩みは常にあります。取材した方に次の取材者を紹介していただくなど、さらにインタビューの幅を広げていきたいですね。

ー取材対象の多様性も意識されているんですね。

はじめは私の専門でもある短距離の選手を中心に取材をしていました。ですが、世の中の関心は箱根駅伝などを中心とした長距離に偏りやすいという現実があります。

競技全体の注目度が高まるという意味ではありがたい一方で、他の種目がなかなか目立ちにくいという歯痒さも感じてきました。なので距離や種目、さらには選手や裏方に関係なく、強い思いを持って競技に取り組んでいると伝えたいんです。

そこで去年は、箱根駅伝に出場する大学のマネージャーさんを取材させていただきました。その記事の反響は大きく、やってよかったなと思っています。

選手を裏で支えている方々がいてこそ、競技が成り立っているので、今後も一歩深い部分にフォーカスした取材を続けていきたいです。

ーインタビューの中で印象に残っていることはありますか?

どんな形であれ陸上に関わり続けている以上、皆さん共通して「陸上が好き」という熱い思いを持っています。

自分が思い通りの結果が出ない時に取材することもあるのですが、そんな時ほど「こんな考え方もあるんだ」と、自分が励まされたり、背中を押されたりしています。

〈写真提供:本人〉

ー現役で競技を続けているからこそ、感じられることもありますよね。

現役だからこそ、選手と同じ目線で話せるというのが自分の強みだと思っています。

逆に競技を引退された方に話を聞くと、現役時代の考えや悩みなどそれぞれ葛藤があったのだと知ることができるので勉強になっています。

ー実際に今までのインタビューから学んだことはありましたか?

皆さんがお話してくださるのは「目標から逆算して日々練習に取り組んでいる」ということ。今何が必要なのかを考えながら日々練習することは、多くの方に共通していましたし、やっぱり大切なんだなと改めて感じました。

ー現在は、選手活動と取材のお仕事を両立されています。働きながら競技を続けるのは大変ではないですか?

あくまで練習が優先というのは崩さないように心がけながら、空いている時間を使って仕事をするようにしています。たしかに「仕事までして大変じゃない?」と言われることもありますが、私は両方やっているからこそ、それぞれに活かせることがあると思っているんです。

社会人になってから病気が再発するまでの約2ヶ月間は、練習しかやることがなく四六時中陸上のことだけを考えていたんです。「競技に集中できる」という意味ではプラスでしたが、陸上しかないことがストレスにもなってしまって。今は陸上以外にも頑張ることができたことで、さらに競技にも集中できるようになりました。

ー活動の一環としてSNS発信にも取り組まれています。

リクゲキの取材活動をきっかけに、まずは自分が発信できなければ人の声を届けることもできないと感じました。

ただ、アスリートのSNS発信には、いまだに否定的な意見も多くありますよね。たとえば、成績が振るわないと「SNSばかりやっているからじゃないか」と批判されたり。そうした声を目にするたびに、投稿一つにも慎重になりますし、怖いなと感じることも少なくありません。

たとえばユニフォーム姿の写真をSNSに載せただけで、心無い言葉をかけられることもありました。純粋に競技への想いや日常を発信しているつもりでも、違った意味で受け取られてしまうことがあるので、悩んでいた時期もありました。

アスリートが自分らしく活動するためには、自由に発信できる環境も大切だと思うんです。私が風潮を変える一歩を踏み出して、自由に挑戦できる空気を広げていければと思います。

ー発信することに対して前向きに取り組むことは簡単ではないのかなと思います。

今年3月、ひとりでオーストラリアへ陸上留学に行ったことで、気持ちが大きく変化しました。現地のアスリートは人の目を気にせず、競技を心から楽しんでいる姿がすごく印象的で。「他人の目を気にして、自分を抑えるなんてもったいない!」と心から思えるようになったんです。

まだまだ日本では多くの人が「周りにどう見られるか」を気にしてしまう。私自身もそうだったので、よく分かります。だからこそ、オーストラリアの自分の好きを大切にする姿勢は、日本でも広がっていくといいなと思います。

ー現在、取材活動と並行して学生への指導もされていると伺いました。教える立場を経験して、ご自身にとっても新たな学びがあると感じますか?

自分の感覚や考えを言語化して伝えることで、自分自身の理解がさらに深まっていると感じます。自分のアドバイスで生徒が成長していく様子や楽しそうに取り組む姿を見ると、本当にやりがいを感じますね。

「誰かの力に」病気の経験がくれた“伝える”使命

ーお話を伺うと、人に教える・伝えることがとてもお好きなんだなと感じます。そうした思いはどのような経験から生まれたのでしょうか?

やはり一番の原点は、病気の経験だと思っています。病気ですごく苦しい時期に、同じ経験をした星さんの特集を見て、勇気をもらったように「誰かの力になれる存在になりたい」と強く思いました。今後もどんな形であれ、誰かの役に立ちたいという思いが一番強いです。

ーこれまでのキャリアの中で、女性アスリートならではの悩みや難しさを感じた経験はありますか?

大学入学直後から練習が厳しくなり、体重が一気に落ちて思うような走りができなかった時は、かなりしんどかったです。周りの選手でも、成長とともに体重が増加したり、生理で悩んだりと、女性アスリートならではの課題に直面する方も多くいました。

当時は、そういうことを人に話すのもどこか恥ずかしいと思っていました。社会人になって少しずつ話せるようになってきた今、「もっと早く誰かに話せていたら、気持ちが楽になっていたかも」と思います。気軽に悩みを共有できる環境が広がっていってほしいと強く願っています。

ーそうした悩みや苦しさを感じたとき、どのように乗り越えてこられましたか?

家族にはよく悩みを話していましたが、一番身近で支えてくれているからこそ、余計な心配はかけたくないという気持ちもあって。最初はずっと一人で抱えていたんです。

そんな時に支えてくれたのが、競技を続けている仲間の存在です。実は同じ悩みを抱えている人も少なくないと気付き、少しずつ自分の気持ちも前向きになれた気がします。

ー個人練習が中心になり、モチベーション維持もより難しくなっていると思います。どのように目標を立て、活動に取り組んでいらっしゃいますか?

もちろんきつい練習は誰でも嫌ですし、私も例外ではありません。今は契約が来年の国スポまでということもあり、「その時までにどうなっていたいか」を考え活動しています。休養期間を経たことで、逆算して目標を立てる習慣がつきました。

あとは毎日、練習ノートを書くようにしています。練習内容だけでなく、自分の気持ちや考えもアウトプットすることで、自分の目標や状態を見つめ直すことができ、モチベーションの維持にもつながっています。高校1年生のときから始めて、今では10冊以上になりました。

練習ノートは私にとって唯一素直になれる場所なんです。誰に見せるわけでもないので、マイナスな気持ちも正直に吐き出すことができます。自分の心の変化を記録する、大切なツールです。

ー今までの経験を経て、今後に向けての思いを改めて教えてください。

まずは現役アスリートとして、ライターやSNS発信を続け、自分にしかできない方法で陸上の魅力を伝えていていきたいです。選手としては、日本代表を目指していますが、焦らずに自分の道を探し、人との出会いを大切にしながら成長していきたいです!

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