間宮佑圭(元バスケ日本代表)が語る、2度の引退と“母としての自分”。オリンピックを選ばなかった先に見えた未来
2016年リオデジャネイロオリンピックに出場し、日本代表としてアジア大会3連覇にも貢献した元女子バスケットボール日本代表の間宮 佑圭(まみや・ゆか)さん。Wリーグ・JX-ENEOSサンフラワーズ(現・ENEOSサンフラワーズ)ではリーグ10連覇を支えた彼女は、妊娠・出産のため2017-18シーズン後にチームを退団。事実上の引退となりましたが、2020年1月に日本代表に復帰、同年8月に引退を正式に表明しました。
その背景には、母として競技を続けることの葛藤や、コロナ禍による東京オリンピックの延期など、コート内外での様々な想いがありました。現在は2児の母として子育てに励みながら、バスケットボールの普及のための新たな道へと歩み始めています。
今回は、現役時代の苦悩や決断、引退後に見えてきた新たな課題、そしてこれから目指す未来についてお話を伺いました。
目次
コロナ禍が直撃した東京五輪とキャリアの揺らぎ
ー2018年に第一子を出産されて競技から離れた後、東京オリンピックに向けて現役復帰をされました。出産から現役復帰まで、どのように過ごされていましたか?
産後復帰してすぐの頃は、子どもたちを練習に連れていくなど母親とアスリートの両立を試行錯誤していました。バスケの練習よりも、まず身体を出産前の状態に戻すことを目的として、日本代表でトレーナーを務めていた方のジムにほぼ毎日通っていましたね。
徐々に身体が整ってきてからは、恩塚亨コーチのもとで大学生と一緒に練習していました。バスケの日と体づくりの日を分けながらトレーニングを行う形でした。
―そんな中、コロナウイルスの蔓延で世の中は大きな影響を受けました。2020年に開催予定だった東京オリンピックの延期が決まった当時、どのような思いで過ごされていたのでしょうか?
第一子出産後の現役復帰も、簡単には決断できませんでした。子育ての真っ只中でしたし、コロナ禍では社会的にスポーツどころではない空気もありました。本当に東京オリンピックが開催されるのかも分からず、前向きな気持ちを持てなくなっていきました。
そんな中で、日本代表のトム・ホーバスヘッドコーチがかけてくださった「そんなに急いで答えを出さなくていい。みんな同じ状況なんだから、一緒に悩んでいこう」という言葉には本当に救われました。
二度目の引退、そして母としての人生へ
―そして2020年8月に、正式に引退を発表されました。実質的には2回目の引退、ということになるんですね。
そうですね。第一子出産後は、「引退」という言葉をあえて使わなかったんです。復帰を挟んできちんと引退すると決めた時、初めて「引退」という言葉を口にすることができました。自分自身にとっても、応援してくださったファンの方々にとっても、きちんと区切りをつけることができたと思います。
JX-ENEOSサンフラワーズ(以下、ENEOS)で連覇していた頃は、喜びよりもプレッシャーや苦しさを感じることの方が多かったのですが、一度バスケットから離れて少し違う立場で戻った時に、純粋な喜びを再確認できました。
様々な葛藤や迷いを乗り越えて引退という決断に至ったのですが、「バスケって楽しいな」と原点に戻ったような気持ちになって終われたことは、本当に幸せだったと思っています。
―その後第二子を迎えられ、人生の新しいステージが始まったということですね。
もともと、どんな形でも東京オリンピックが終わったら2人目が欲しいなと思っていました。
東京オリンピックを諦めたからこそ、このタイミングで二人目の子に会えたんだと思えることが気持ちの救いにもなりました。落ち込んでいる暇もなく、また慌ただしい日常が戻ってきたなという感覚でしたし、一人目の妊娠・出産とは違った感覚で、すべてが新鮮でした。
引退という一つの区切りがあって、新しい日常が始まった実感がありすごく嬉しかったです。
「キャリアとライフステージのバランスに悩む選手が多い」変化する女子バスケ界
―一般女性にも言えることですが、女子アスリートは自分のライフステージやキャリアとのバランスで悩む選手も多いと思います。
バスケットボールは本当に激しいスポーツなので、女子ならではの難しさや葛藤もあります。ただ、現役中に結婚する選手も増えてきていますし、キャリアに対する考え方も少しずつ変わってきていると思います。
結婚だけではなく、プロジェクトを立ち上げたい、会社を起業したいという夢を語る選手も増えてきたのも、選手たちが声を上げられるような環境が整ってきたからこそだと思います。チームや会社側も、選手をサポートしていく姿勢が求められていると思います。
―もし、現役時代の自分に声をかけるとしたら、何を伝えますか?
アドバイスというよりは、「あのタイミングでよく結婚したね。よくやったよ」と言いたいです(笑)。現役中に結婚という選択をしたという事実を後輩たちに見せられたことは、すごく大きな意味を持っていたと思います。
「今」だからこそ伝えたい。年代に合わせた関わり方と声かけの工夫
―今は子どもたちにバスケを教える仕事をされていると伺いましたが、児童発達支援士の資格はどのような経緯で取得されたのでしょうか。
普段子どもたちに「レベルアップしていこう」と伝えているのに、私自身は何もしていないなと思っていたんです。ちょうどその頃、主婦でも在宅で資格が取れるといった広告が流れてきて、その中で児童発達支援士という資格が目に留まりました。
誰にでも通じる声かけや対応力が学べる内容でしたし、今の自分にとって一番身近で、楽しく学べる資格かもしれないと思って勉強を始めました。取っただけで満足してしまうと形だけになってしまうと思うので、繰り返し学び続ける姿勢は大切にしています。
―子どもたちと関わる中で、伝え方や指導方法について意識していることはありますか?
年齢層ごとに伝え方は異なってくるので、意識していることはかなり違いますね。
まず、幼児から小学校低学年までは、とにかく楽しむことを大切にしています。「できたね!」「できなかったけど、そこまで挑戦したのはすごいね!」といったように、成功体験を楽しい気持ちと一緒に届けることを意識して、自然と学べるような雰囲気作りに努めています。
小学校中学年から高学年の子には、自分はどんな選手になりたいか、どんな大人になりたいかを、少しずつ考えてもらうようにしています。「どういう選手になりたい?」「そのために今の自分の姿はどう?」という問いかけを通して、子どもたちが少しでも前向きに、自分で選んで行動できるように指導していますね。
中高生になると目指す方向も分かれるので、アプローチの仕方も変わってきます。必要としていることに合わせた指導を心がけつつ、より専門的な内容やプレー技術の指導なども意識的に取り入れています。
―「どういう選手になりたいか」という問いかけは、コミュニケーションの中でも特に意識されているようですね。
そうですね。ただ、これはとても難しい質問なんだろうなとも感じています。実際、自分が高校生の時にその質問に答えられたかといえば、正直答えられなかったと思います。
堅苦しく聞くのではなくて、バスケに関連する夢でなくても、イメージを膨らませられるようにしていますし、たとえ話を交えることも一つのポイントです。
また、今活躍している選手の話をして、「あの選手はどんな練習をしてたと思う?」と想像を促すこともありますね。その道をまったく想像していないのと、うまく想像できないのとでは、全然違うと思うんです。何も考えていないのか、それとも方法がわからないのか、その違いはすごく大きいんですよね。
少し先の未来を見据えた時に、自分はどうありたいのか、どうしたらその夢に近づけるのかを、少しでも意識してもらえるといいなと思っています。
離婚という選択とその後の人生
―過去のインタビューで「離婚という経験を経て今がすごく楽しい」と仰られていましたが、その気持ちの背景にある充実感はどのような心情から来ているのでしょうか?
離婚という選択は、自分で責任を持って決断したことです。もちろん簡単なことではありませんでしたが、自分の強みになったと感じています。離婚=ネガティブだと思われがちですが、私にとってはそこからまたレベルアップできたという感覚が強いんですよね。どうしようと落ち込むよりも、これからどうしていこうかという前向きな気持ちでいます。
最終的に自分の人生に責任を持てるのは自分しかいない。子どもたちのことも含めて、私が責任を持つと覚悟を決めたからこそ、今は自分らしさ全開で生きられていると思います。
子どもと一緒に過ごす日常の中で、ただのひとりの人間として「ああ、人生ってこんなに楽しいんだ」と思うことが増えました。
子どもが学校や幼稚園に通い出して、自分の時間がしっかり持てるようになったという環境の変化も大きいと思います。自分の時間をどう使うかを考える余裕も出てきて、日々が本当に楽しいんです。
もちろん、今の状態に至るまでは悩んだ時期もありましたが、今は子どもたちと一緒にどう幸せをつくっていこうかと考える毎日です。
ー心の底から楽しいと思われているのがすごく伝わってきます。
離婚という選択の中にも、たくさんの選択肢があるんですよね。結果として離婚という形になったとしても、子どもが大きくなってからという選び方をする方もいますし、それに正解や不正解はないと思っています。
子どもたちのために離婚しないという選択も、親としての強さのひとつだと思いますし、この子たちのためにと思って続けるという選択も確かに親の愛であり、強さだと思います。
でも私としては、自分の離婚の決断を子どもに委ねたくなかったんですよね。だから、「私はこう決めた。あとは任せて」という思いで決断しました。
子どもたちには、どういう経緯でこの決断をしたのかを包み隠さず話しました。そのうえで、「あなたたちの選択肢は奪わないから、パパと過ごしたい時はパパと過ごせばいいし、会いたい人にはいつでも会っていいんだよ」と伝えています。そんな環境を整えるのが親の役割だと思っていますし、子どもの選択肢はできる限り奪わないようにすることがマイルールです。
「選択肢はあたりまえにある」女子アスリートたちに伝えたいこと
―最後に、これからさまざまなライフステージの変化と向き合っていく女子アスリートたちにメッセージをお願いします。
選択肢は当たり前にあるものだよと、強く伝えたいです。もちろん、選ぶことが難しい時もあると思います。でも、選択肢があると思えるだけで、良い意味で余裕が生まれると思います。
そして選択肢を増やすには、経験やチャレンジが不可欠です。大人になるとだんだん難しくなってきますが、将来の自分のための自己投資だと思ってやると、その経験が引き出しになります。選択肢が多い人は、人生の土台がしっかりしていると私は思います。
―選べるだけで、ちょっと気が楽になりますよね。
そうですね。選ばないという選択肢があることも大事だと思うんです。選択肢が多ければ多いほど失敗してもすぐに切り替えられますし、これはどの年代の人にとっても大切なことだと思います。